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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
「…少しは慣れたかね?」
北白川伯爵が爽やかな笑顔で狭霧に尋ねる。
伯爵は仕立ての完璧な純白のワイシャツに洒落た臙脂色のネクタイ姿だ。
…夜間飛行の薫りが微かに漂う。

…伯爵の寝室隣りの衣装部屋…と言ってもゆうに十畳はある…で狭霧は慣れぬチェーン式のカフスボタンに苦戦していた。
従者は主人の身に付けるもの、すべての支度を手伝う。
カフスボタンはその最たるものだ。
ブラックオパールのカフスボタンは、見るからに高級そうだ。
けれど、カフスボタンとはほとんど無縁だった狭霧には初めて触れるものに近い。

「…ご覧の通りです…」
…全然嵌まらない…!
悪戦苦闘していると、伯爵は可笑しそうに笑った。

「…いい。
今日は自分でやるよ」
狭霧の手に、伯爵の手が重なった。
「…あ…」
…大きく温かな、絹のようにしなやかな手…。
思わず、どきりとする。

「…この摘みを持つと付けやすい…」
…耳元で天鵞絨のようにしっとりと滑らかな低音の美声で囁かれると、体温が僅かに上がる。

「…は、はい…」

「…すぐに慣れる。
君はとても手先が器用だ」
見上げると、漆黒の闇色をした瞳が優しく微笑んでいた。
思わず見惚れる。

「…それは…どうも…」

伯爵が悪戯めいた表情で、端正な眉を跳ね上げて見せた。
「『恐れ入ります』だよ。
マレーに叱られるぞ」

…心拍数がいきなり上がる。
けれど、気にしてはならない。
余計なことを考えてはならない。
決して。
気にすると、余計な感情が溢れ出してくるような気がするから。

「…恐れ入ります。
…旦那様」

眼を合わせないように伏し目勝ちに、狭霧はクローゼットに移動した。








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