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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
「…いいかね。サギリ。
これは実に異例なことなのだよ」
マレーは狭霧に極上のテイルコートを着せかけながら、重々しく念を押した。

「…はい。マレーさん」
…何度目だよ。もう…。
狭霧は心の中で愚痴をこぼす。

「旦那様はずっと従者をお付けにならなかった。
それは旦那様が余りに理想が高くていらっしゃったからだ。
…旦那様の美意識は極めて高い。
生半可な者では、良しとされなかったのだ」

「…はい。マレーさん」
タイをぎゅうぎゅうに締められる。
息苦しさに耐えながら、返事をする。

「その旦那様が君を従者として夜会にお連れになるのだ。
…恐らく、屋敷の使用人はもとより、ご来賓の方々からも注目を集めるだろう」
「…はあ…」
…たかが従者なのに?
大袈裟じゃないか?

マレーがタイの形を整えながら、じろりと睨む。
「たかが従者と思っているかね?」

見透かされ、どきりとする。
「いいえ、マレーさん」
慌てて首を振る。

マレーはフンと鼻を鳴らし、滔々と語り始める。
「君は日本人だから詳しくはないだろうが、欧州の上流階級の世界に於いて、主人が連れる従者とは極めて重要な役割であり、名誉な仕事なのだ。
連れている従者のランクで、その主人のステータスが決まると言っても過言ではない。
従者が美しく優雅で聡明で機知に富み…つまり魅力的であればあるほど、その主人には尊敬と威厳と称賛の念が与えられるのだよ」

…なんだか少しカチンと来た。
「…つまり、従者はご主人様のアクセサリーということですか?」

マレーがさながら殺し屋のボスのような眼差しで狭霧を見遣る。
「自惚れるな。
君が旦那様のアクセサリーになろうなんて十年早い。
今の君は見かけは大層美しいが中身は空っぽな硝子玉だ。
…旦那様の評判を落とし、お名前を穢すことだけはないように肝に銘じるのだよ」

「…な…っ…」
思わず反論しようと身構える狭霧を姿見の前に立たせ、唸る。

「…旦那様の着道楽にも困ったものだ。
従者は大抵少し流行遅れの燕尾服を着るのだ。
主人のお下がりだからな。
けれど旦那様のお下がりは最新流行と来ている。
…これでは、あちらは来賓と間違えかねない」
…と言いつつも、少し愉しげに付け加えた。

「まあいい。
お手並み拝見と行こう。
ヴァレット・サギリ」

…本当に嫌味な爺さんだ…!
狭霧は心の中で毒吐いたのだ。


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