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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
無様に逃げ帰る西条の後ろ姿に退屈そうに視線を投げかけ
「…なんと詰まらぬ。
もう少し骨があるかと思っていたら、小骨すらないぐにゃぐにゃなクラゲだな」
退屈な余興を見せられたかのように、伯爵は肩を竦めた。

「…旦那様…」
「どうした?狭霧。
鳩が豆鉄砲を食ったようだよ。
美しい貌が台無しだ」
「…あんた…俺を庇ってくれたのか…?」
西条に言い放った言葉には、狭霧への思い遣りが感じられた。

伯爵は朗らかに微笑った。
「当然だ。従者の名誉は私の名誉だからね。
…それに…君も私を庇ってくれた。
嬉しかったよ」

狭霧は激しく首を振る。
「…そんなの…当たり前だ。
あんたは何も悪くない。
…ていうか、あんた…。いいのか?」
「何が?」
「…俺を従者として雇っている限り、きっとまた今みたいなことが起きる。
またあんたに迷惑をかける」
想像するだけで、申し訳なさに苦しくなる。

ふうん…と伯爵は呟く。
「…迷惑…ね。
君は私と寝たのか?」
狭霧は憤然と叫ぶ。
「ね、寝てないだろ!」
「金で買われた?」
「買われてねえし!」
伯爵はさらりと手を挙げた。
「なら気にすることはない。
すべて事実無根。
言いたい奴には言わせておけばいいさ」
…そして、大袈裟に唸って見せた。
「…それよりもっと由々しき問題がある」
「何⁈」

伯爵が芝居めいた仕草で、眉を顰めた。
「言葉遣いが元に戻っている。
酷いものだ。
マレーがここにいたら、雷が落ちていたぞ」
「…あ…」
慌てて頭を下げる。
「…すみませ…申し訳ありません。旦那様」
おずおずと頭を上げる。

「言葉遣いはこれからの重要課題だな。従者殿」
「…はい。旦那様」
やがて二人は眼を見合わせ、小さく笑った。

…舞踏室から弦楽団が奏でる優雅なヨハン・シュトラウスが、夜風に乗って流れてきた。
舞踏会が始まったのだ。
「…あ…」
あれは…美しき青きドナウだ…。
砂糖菓子のように甘く美しいワルツ曲…。
密かな想い出が甦り、胸が切なく疼いた。

…じっと狭霧を見つめていた伯爵が、優しく微笑むとしなやかに手を差し伸べた。

「…踊らないか?狭霧…」





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