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私が妻を失った話
第1章 運命の日
私が妻を、子ども達が母親を失った話をします。
当時、私38歳で妻は36歳でした。
私たち夫婦は2人の子どもとともに
東京で暮らしていましたが、
働いていた会社が倒産し職を失ったことをきっかけに、
一念奮起して田舎の古民家を30万ほどで購入し移住、
夫婦で古民家DIYをしながら畑を耕し、
自給自足みたいな生活をしていました。
ある程度貯金もありましたので、
気楽に暮らしていた私たちですが、
それでも子供の教育費や燃料費などを考えると、
どうしても現金収入が必要でした。
そこで我々夫婦が始めたのが古民家再生のDIYを、
動画配信サイトで配信することでした。
当初は注目されることもなく、
大した収入に繋がらなかった動画配信ですが、
思わぬことで注目を集めることとなりました。
真夏に妻が、
タンクトップとスパッツで作業する姿を、
3回ほど配信したところ、
鳴かず飛ばずだった私たちの配信が、
急にバズッたのです。
「こんなおばさん見て、嬉しいのかしら」
そう言って、少し気味悪がっていた妻ですが、
こんなことで稼げるならと、
さらに身体の線がはっきりわかる服を着て
作業するようになりました。
妻は顔もスタイルも人並みでしたが、
グラマーで胸が大きい女性でした。
そんな妻の薄着目当てで私たちの配信を見る、
人妻熟女好きが結構いるようでした。
配信が人気を呼び、それなりの収入源となりました。
その一方で、そんな妻にちょこちょこと、
卑猥なメールが届くようになりました。
中には「犯したい」「さらってやる」なんていう、
ちょっと怖い内容のものも届くようになり、
私は心配して、妻に服装を改めるよう言いましたが、
良くも悪くもさっぱりした性格の妻は、
そんな私を、笑い飛ばしていました。
しかし私の心配は、最悪の結果で現実になりました。
「長男の運動靴を買って、久々に美容院に行ってくる」
その日妻は、車で町に出掛けました。
集落から町までは、車で1時間ほど山道を走る必要があります。
いつもなら私も同行するのですが、
その日は動画の編集に追われており、
妻は軽トラを運転し、ひとりで出かけていきました。
そして妻は、帰ってこなかったのです。
当時、私38歳で妻は36歳でした。
私たち夫婦は2人の子どもとともに
東京で暮らしていましたが、
働いていた会社が倒産し職を失ったことをきっかけに、
一念奮起して田舎の古民家を30万ほどで購入し移住、
夫婦で古民家DIYをしながら畑を耕し、
自給自足みたいな生活をしていました。
ある程度貯金もありましたので、
気楽に暮らしていた私たちですが、
それでも子供の教育費や燃料費などを考えると、
どうしても現金収入が必要でした。
そこで我々夫婦が始めたのが古民家再生のDIYを、
動画配信サイトで配信することでした。
当初は注目されることもなく、
大した収入に繋がらなかった動画配信ですが、
思わぬことで注目を集めることとなりました。
真夏に妻が、
タンクトップとスパッツで作業する姿を、
3回ほど配信したところ、
鳴かず飛ばずだった私たちの配信が、
急にバズッたのです。
「こんなおばさん見て、嬉しいのかしら」
そう言って、少し気味悪がっていた妻ですが、
こんなことで稼げるならと、
さらに身体の線がはっきりわかる服を着て
作業するようになりました。
妻は顔もスタイルも人並みでしたが、
グラマーで胸が大きい女性でした。
そんな妻の薄着目当てで私たちの配信を見る、
人妻熟女好きが結構いるようでした。
配信が人気を呼び、それなりの収入源となりました。
その一方で、そんな妻にちょこちょこと、
卑猥なメールが届くようになりました。
中には「犯したい」「さらってやる」なんていう、
ちょっと怖い内容のものも届くようになり、
私は心配して、妻に服装を改めるよう言いましたが、
良くも悪くもさっぱりした性格の妻は、
そんな私を、笑い飛ばしていました。
しかし私の心配は、最悪の結果で現実になりました。
「長男の運動靴を買って、久々に美容院に行ってくる」
その日妻は、車で町に出掛けました。
集落から町までは、車で1時間ほど山道を走る必要があります。
いつもなら私も同行するのですが、
その日は動画の編集に追われており、
妻は軽トラを運転し、ひとりで出かけていきました。
そして妻は、帰ってこなかったのです。