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夜をほどく
第33章 過去との距離
週末、紗江は一人で街へ出かけた。
春の空気は少し湿り気を帯び、花びらがゆっくりと舞っていた。

向かった先は、あの人――課長・西園とよく訪れたカフェだった。

数ヶ月ぶりの店内。
コーヒーの香りと、変わらぬジャズのBGMが、胸をきゅっと締めつける。

窓際の席に腰掛け、カップを両手で包む。
彼と交わした視線、交わしたキス。
掴まれた腕の痛みすら、なぜか懐かしかった。

「あの人を、まだ……私は、忘れられてないんだ」

それが、どうしようもないほどに苦しい。
でも同時に、昨夜、佐伯に抱かれたときの柔らかい吐息と、温かな腕も思い出す。

“違う熱。違うまなざし。でも、どちらも、私の中にある。”

自分の心がどこへ向かいたいのか、まだわからない。
けれど、ここで立ち止まってはいけないとも思っていた。

カップの底に残ったわずかなコーヒーを見つめながら、紗江は心の中でつぶやいた。

「……もう一度、自分に正直にならなきゃ」

その時、スマートフォンが震えた。
画面に浮かんだのは、西園課長の名前だった。

一瞬、呼吸が止まる。

“今さら、何……?”

指先が震えたまま、彼女は画面を見つめ続けた――。
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