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石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
第9章 第二話・伍
―村長はまだお若い。統率力もあるし、先を見通す眼もお持ちだが、若さだけはどうにもならねえもんだ。あんな色香溢れる女が突然眼の前に現れりゃア、それこそ空から天女が降ってきたように見えるだろうよ。美人が多い江戸ならともかく、ここは女といやァ、しなびた婆さんか、若いだけが取り柄のような不細工で垢抜けねえ娘しかいねえからな。
―違えねぇ。けどよ、お前、そんなことが村の女どもに知れたら、ただじゃあ済まねえぜ。寄ってたかって袋叩きなされちまうわぁな。
―怖え、怖え。底知れなさを秘めた別嬪も何企んでるかどうか判らなくて怖えけど、顔は鬼瓦で、やたらと勇ましい村の女どもも別の意味で怖えぜ。女ってのは、つくづく怖ろしいな。
―うっかり、あの色香に誘われて、あの家に近づいてみろや。引きずり込まれて、誑かされちまうぞ。
―何だ、そりゃ。男を食い殺す妖怪狐じゃあるまいし。
 お民自身は、そんな根も葉もない噂が自分をめぐって取り沙汰されているとは想像だにらしていなかった。
 お民の眼に純白の花が映じている。清々しい香気が特徴の橘の花である。
 ねっとりと纏わりつく夏の大気は暑熱を孕み、じっと座っているだけでも、じっとりと汗が滲んでくる。
 額に滲んだ汗の玉が首筋をつたい落ちてゆく。
 ふいに、涼やかな風が吹き渡った。この村は冬には雪に閉ざされる。そのせいか、夏場も江戸のように猛暑に見舞われることはなかった。その点では暮らしやすいといえたが、それでも暑いことには変わりない。
 得も言われぬ香りが風に乗って流れてきた。橘の花の匂いだ。
 この時季には珍しい心地の良い風は、やはり木陰にいるせいだろうか。仲良く並んだ二つの樹が緑の茂みで翳をおりなし、居心地の良い場所を提供してくれる。
「やはりここにいなすったか」
 呼び声がお民の耳を打ち、意識が突如として現実に引き戻された。
 佐吉―この螢ヶ池村の若き村長が屈託ない笑みを浮かべて佇んでいる。
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