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吼える月
第36章 幻惑
 

「さて、姫様。今度は出入り口のある岩壁があちらに見えてますが、どうしましょうね」

「行きましょう。行くしかないでしょう」

 サクは笑った。

「あそこがどこに繋がっているかは知りませんが、なにがあろうと俺は……姫様を守ります。姫様の護衛の武神将なんですから」

 どこか艶めいた眼差しをうけて、とくりとユウナの胸が騒いだ。
 それは慣れたような心地で、同時に苦しいもので。

 頭の中になにかの映像が早送りに進められている。

 護衛。
 武神将。

 あたしの、あたしだけの――。

 なにかがちらちらする。
 なにかを忘れている気がする。

――お嬢、それ聞いたら猿がはしゃいで、猿踊りするぞ。

 イルヒ。
 あなたとあたしは、なにを話したの?
 サクがそんなに喜ぶなにを、あたしはサクに言おうとしていたの?

 切なく苦しく、膨れあがるこの感情の輪郭は。
 自分はなんと名付けて、イルヒに語ったのか。

「姫様?」

 しかしユウナはなにかを思い出す前に、ぬっと視界に大きく現われた、サクの端正な顔で思考を中断されてしまった。

「ひっ」
「悲鳴は失礼ですよ、姫様。どうしました? 俺をじろじろと」

 彼の黒い瞳にこうやって見つめられると、どうして心が騒ぐのか。

――姫様!

 ……今さらだ。
 今さらなのに。

「姫様、顔が赤いですが、お熱が出てしまいました?」

 不意に額に触られたサクの掌の熱さに、蕩けてしまいそうだ。
 
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