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吼える月
第36章 幻惑
 

「姫様?」

 このまま蕩けて溶けてしまいたいと思うユウナは、とろりとした眼差しで、サクをじっと見た。

「姫様……」

 サクの黒い瞳も熱に蕩けている。

 同じ熱で揺蕩(たゆた)っているのは、甘美な心地がした。

 ああ、このまま……サクと混ざりながら一緒に溶けてしまいたい――。

「そんな顔してると、勘違いしてしまいそうなる」

 サクは切なそうに笑って、ユウナの唇を指で撫でた。

 ユウナの心臓がきゅっと切なく絞られる。
 ユウナは本能が赴くまま、その桜色の唇を僅かに開いて、サクを誘う。

「駄目です」

 その熱い目はユウナが欲しいと切願しているのに、彼の強靱な意志の力がその欲を覆い隠す。

「……ご褒美、今あげたい」

 唇が欲しい。
 ただの主従関係を超えることが出来る、サクのあの唇が。

「……俺が望んでいるのは、こんな時に欲しいものじゃねぇんです」

 欲しい。
 触れたい。

 サクの熱で、歪に欠けた心を元に戻して欲しい。
 
「サク……っ」

 サクの指が、ユウナの上下の唇の間を割るようにして、横になぞられる。
 
「こんな合間で、こんなどさくさで、簡単に終えておしまいになるようなものじゃねぇんです……」

 サクの切れ長の目が、ぎゅっと細められる。

「いい加減、わかってくだ『ばへぇっくしょおおおん』」

 サクとユウナの顔が、ラクダの鼻から飛んだ粘液に塗れた。

『おや、我はなぜここに? ふむ……悪夢でも見てしまったようだ。おお、なんぞこの寒気は。あの入り口から冷気が漂っておるな。心して……お主ら、水浴びか? ここに水でもあるか? どこの水ぞ?』

「お前の汚ぇ鼻水だよ!!」

 正気に戻ったラクダは、

『こら、我の毛を抜こうとするではないっ、これ! ばへぇぇぇぇぇ!』

 サクの八つ当たりを受けて、悲鳴交じりで鳴いたのだった。

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