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陽炎 ー第二夜ー
第3章 願わくば花の下にて
腕の中の寝息を確認し、八尋はそっと溜め息を捨てる。

男としての本音を晒せば。

『いつまでも過去の男に縛られるな』

『死んだ男など忘れてしまえ、忘れさせてやる』

そう、言いたい。

だが、男の身体を持たぬ八尋には、サチを抱けぬという負い目がある。
それに、競う相手は八尋にとっても、命を救われ、その命を捧げた大恩ある男、市九郎。

あまつさえサチの身体には、市九郎の忘れ形見が宿っている。

忘れろという方が無理な話だった。

女を知ることなく、市九郎以外におよそ人に心動かされることのなかった八尋にとって、サチは、初めて心惹かれた女性。

それでも、サチは大恩ある人の情婦であったから、この気持ちは一生胸に秘めていくべきものと思っていた。

だが、その市九郎が死に、サチを託され、こうして所帯を持つこととなり。

今、サチは己の腕の中で眠る。

それなのに、二人の間には、深く暗い溝がある。

そんな気がした。

触れているのに、遠い。

その事が、とてつもなく哀しかった。

一度でいい。

たった一度だけでもいいから。

男として、サチを抱くことができたなら。

この胸の奥で燻る、もやもやとした気持ちは昇華できるような気がする。

だがそれも、叶わぬ夢。

自嘲的な笑みを漏らすその瞳に光る、一筋の涙。

親指でそれをぬぐい、再びサチの身体を抱き締め、目を閉じた。
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