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潮騒
第8章 正一郎の過去 ー引潮ー
「こっちに来い」

いつものように、正一郎が菊乃を呼ぶ。
それは、抱かれる合図。

それまで正一郎を拒んだ事など無かった菊乃だが、正直そんな気分にはなれなかった。

だいたい元はと言えば、正一郎が昔の女と逢引などするから。
それに衝撃を受けて前後不覚になったのだ。
私だけが責め苦を味わうのは不公平や。
例え逆恨みと言われても、もう正一郎に抱かれたいとは思わなかった。


「嫌や。」

菊乃は首を振り、蚊帳の中に敷いた二組の布団を心持ち離す。元々離して敷いていた布団を、正一郎が引き寄せて並べていたのだろう。それを再び元に戻した。

「何やと?」

正一郎が声を荒げる。

「まだやっと四十九日が済んだとこやのに…あんたようそんな気になれるな、薄情な男やわ…父親がそんなんじゃあ剛志も浮かばれんわ。」

吐き捨てた菊乃に、正一郎が更に苛立つのを感じた。
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