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令嬢は元暗殺者に恋をする
第72章 怖いのは、あなたと離れてしまうこと
「ばかな、何故そこをどかない! 死ぬつもりか……どいてくれ! 頼むから……頼むから道をあけてくれ!」

「彼は……」

 サラはドレスの裾をきつく握りしめた。

「何があっても彼は絶対にその場から動いたりしない! 寸前になってどうせ退くに決まっているなんて思っていたら、あなたは後悔する。馬車を止めなければ本当にひいてしまう! だから、早く馬車を止めて!」

 サラの言う彼が、目の前に立つ人物だと男はすぐに悟ったらしい。そして、サラの言葉が男を決断に導いた。
 いや、まともな精神を持つ者ならおのずと、とる行動は決まっている。
 たとえ、ファルクの命令とはいえ、人をひき殺すなどできるわけがなかった。

「サラ様!」

 もはや、御者台の男に迷いはなかった。
 馬車をとめようと手綱をしぼる。

「頼む……間に合ってくれ!」

 御者台の男の叫びとともに、馬車は道の中央に立つその人物の手前で急停止した。

 驚いた馬たちのいななきが天空へと駆け上がり、木の枝葉に身をひそめていた鳥たちが、馬の鳴き声に驚いていっせいに飛びたっていく。

 再び訪れた夜の静寂。
 御者台の男は大きく息を吐き出しがくりと肩を下ろす。
 そして、はっとなって顔を上げた。

 ひらひらと舞い落ちる枝葉の中、剣を片手に前方に立ち尽くす、すらりとした細身の、ひとりの少年の姿を確かめ男はほっと息をもらし、ひたいに浮かんだ汗を拭った。
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