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令嬢は元暗殺者に恋をする
第72章 怖いのは、あなたと離れてしまうこと
 少年はその場から一歩も動くことなく馬車を見据えていた。
 その顔に、怯えも焦りも見あたらない。

 あまつさえ、唇に薄い笑いさえ浮かべているように見えるのは気のせいか。 必ずこちらが馬車を止めると確信してのことであろう。

 豪胆な性格だ。
 命知らずにもほどがある。

 何てやつだ、と男は喘ぐように呟きをもらす。
 走る馬車の前に立ちふさがるなど普通では考えられない。
 一歩間違えればひかれていたかもしれないのだ。
 もし、ファルクを恐れて命令に従っていたらと思うと……。

 今頃はとんでもないことになっていた。
 男は顔を青ざめさせ、ぶるっと恐ろしさに身を震わせた。

 サラは馬車から降りようと扉に手をかける。けれど、そうはさせないとファルクに肩をつかまれ引き戻された。

「おまえは私のものだ!」

「私はあの人のものよ」

「おまえはこの私の妻となったのだ!」

「いいえ! こんな形ばかりの結婚など何の意味もなさない」

 サラは冷めた眼差しでファルクを見下ろす。

「彼のところへ、行くわ」

「行かせるものか!」

「私に触れないで!」

「誰にも渡さない!」

「いやよ、離して!」
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