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サイレントエモーショナルサマー
第30章 bacio
藤くんはどんな顔をするだろう。前の時みたいに、そんなこと気にしないでください的なことを言ってくれるだろうか。だが、あの時とは大分、状況が変わっている。
浮かない気持ちと、浮いた気持と半々で電車に揺られ待ち合わせの駅へと向かった。改札を出てみれば待ち合わせ時間の10分は前なのに、近くの柱に寄りかかっている藤くんが見える。
遠巻きに見てみると藤くんは明らかに周囲の女性たちからちらちらと視線を向けられている。少し、伏し目がちに立っている姿は格好良いを余裕で通り越し、美しさしか感じない。
なんだか、どきどきする。彼が別人のように見える。近づいて声をかけるべきか思い悩んでいると彼は私に気付いたのかにこりと微笑んで手を振った。そのまま私の元へやってくると当たり前に私の手を取る。
「髪、かわいいですね。お友達にやってもらったんですか?」
顔周りに垂らした髪にそっと触れてから人目も憚らず頬へのキス。こら、と制すと私の声を無視して、行きましょう、と歩き出す。
「…どこ行くの?藤くんの家?」
「そんなにセックスしたいんですか?」
「…えっ…えーと、したいはしたいんだけど…その、アレが、」
「………つまり、今日は猫にはなってくれないと」
「そ、そうだね…来週かな」
「じゃ、ノーマルデートに切り替えます。行きましょ」
一瞬、残念そうな顔が過ぎったが、藤くんはすぐさまその表情を消し去った。流石だ。晶は思いきり不機嫌になったのに。ほらみろ、くそ野郎。だから藤くんはお前みたいな小物は土俵に上げないと言ったのだ。
「心配し過ぎですよ。そりゃ俺だってしたいですけど、出来なくても俺は志保さんに触れたいし、一緒に居たいです」
「……ごめん」
「あの男の所為ですかね。やっぱり海に突き落としておけば良かった」
ち、と舌を打つ横顔は急速に男らしく見えてしまった。舌打ちなんてあまり良い所作ではないのに藤くんがするとアンバランスで格好よく見える。きゅ、と絡めた指に力を込めて、一瞬でも不安に思ってごめんよ、と胸の内で再び謝った。