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サイレントエモーショナルサマー
第30章 bacio
◇◆
昨晩は私を帰らせたくないとごねる藤くんに何度もキスをしてなだめて、なんとかチカの家に戻った。ただいま、と玄関を開けるとチカが走って私に抱き着いてきて、どうしたの、と問えば、顔を真っ赤にして、初めてユウジさんとキスをしたのだと言う。
キスってこんなに幸せな気持ちになるものだったのか、とうっとりするチカは幼い少女のようで愛おしい。私がふざけて、私ともキスする?と言うと、その可憐な表情を消し去り、追い出すよ、と低く言った。危機を覚える表情であった。
寝る支度をし始めた頃に浩志から電話があった。きっと彼は不本意ながらも私が藤くんと別れるまで連絡を入れるのを待っていてくれたのだろう。チカのマンションの最寄駅まで迎えに行くからと言われ、昼過ぎに約束をして通話を終えた。切り際に低く、おやすみ、と言った浩志の声がいつまでも耳の奥にふわふわと残っていて、私は心地よく眠りについた。
今日は部屋の掃除をするというチカに送り出され、駅で浩志を待つ。家を出る前にスカートはやめろと連絡があったが、どんな意図があるのだろう。
柱に寄りかかって彼を待っていると駅前のロータリーに一台のバイクが滑り込んでくるのが見えた。ワインレッドの車体が洒落ている。
バイクから降りた男性がフルフェイスのヘルメットを外し、乱れた髪を整えるように髪に手をやっている。やや遠くに見えるその人をなんとなく見ていると、彼はこちらを振り返る。
― 浩志?
手招きをしている。ぱちぱちと瞬きをしてみれば、バイクの前に立っているのは浩志じゃないか。いつの間にバイクなんて購入したのだろう。いいな、バイク。400㏄のドラッグスターはちょっと憧れる。
「悪い、待たせた」
「…ううん、そんなに待ってない」
「ほら、メット」
「ありがと。バイク、いつの間に買ったの?」
「7月の真ん中くらいか?昨日、納車したばっか」
「……事故んないでよ」
「お前乗せて事故るわけないだろ」
だからスカートはやめろとわざわざ連絡を寄越したのか。ふふ、と笑ってヘルメットを被る。シートに乗っかった浩志のものと同じデザインの色違いだが、女性向けらしく私の頭にフィットするような感じだ。