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サイレントエモーショナルサマー
第33章 ombra
天気は辛うじて会社に着くまで持ってくれた。ビルに入り、エレベーターを降りてからひとり気合を入れてフロアに向かおうとすると突然背後から腕を引かれた。驚いて足を踏ん張ればずきりと鈍い痛みが足の裏に走る。
眉を顰めながら振り返るとしょげた顔の藤くんが私の手首を掴んでいる。おはよう、とかけた私の声が聞こえているのかいないのか曖昧な表情になった藤くんはそのまま私の手を引いて、給湯室へ私を押し込んだ。
「どうしたの?」
問いかけもスルー。無言でぎゅっと抱き締められ、戸惑いながらもよしよしと背中を撫でてやった。鼻腔を擽る藤くんの匂いは気持ちが落ち着く。
「……中原さんになにされたんですか?猫?」
「それで朝からしょんぼりしてるの?」
「俺、昨日気が気じゃなかったですよ…中原さんの家知らないし、あの人電話出ないし…志保さんのスマホ俺が持ってるから連絡取れないし…」
「ごめんね、急に消えて。ちょっと怪我しちゃって…浩志に拾ってもらっただけだよ」
そう言えば昨日の浩志はけたたましく鳴り続けるスマホに痺れを切らし、電源を切っていた。あの着信は藤くんからのものだったのだろう。
「…怪我って大丈夫ですか?」
「うん、擦り傷だし大丈夫。あ、藤くん、私のスマホ持ってきてくれた?」
「充電しときましたよ。あと、俺の写真撮っておいたんで後でロック画面に設定してくださいね」
「充電はありがとう。でも、君、さり気なくなにしてくれちゃってんの?」
身じろいで腕を伸ばし、藤くんの頬をきゅっと抓る。しょげた顔を消し去ってにこりと微笑んだ彼はすかさず、ちゅっと口付けてくる。
だめだよ、会社だよ、と言いながら藤くんのシャツの胸元に額を擦りつけた。なんとも説得力のない行動である。でも、無性に彼の腕の熱を感じたくて仕方がなかった。
「…甘えんぼバージョンってことはなんか悩んでますね」
後頭部を撫でてくれる大きな手。静かで優しい声音。返事の代わりにぎゅっと藤くんのシャツを掴む。