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サイレントエモーショナルサマー
第35章 astuto
そう言えば、浩志は酒を断ったのではなかったか。まあ、今日はまだ部長も来ていないし浩志が潰れるまで飲ませることが出来そうな人間はいないが。
がやがやと賑やかな声に混じって右隣から飛んでくる男性の声に辟易して視線を彷徨わせればミヤコちゃんが年の近い女子社員たちときゃいきゃいしている姿が見える。
「すみません、ちょっと外します」
持ってきた2つ目のグラスまで空けた彼に声をかけて席を立った。逃げ場所は特にない。外に出て風に当たるかお手洗いにでも行こう。地上へと続く内階段を上がろうとすると、皆にしきりに声をかけて場を整えていた村澤さんが、ちょっと待てと言わんばかりの顔で近付いてくる。
「帰るのか」
「え、帰ってもいいんですか」
「ダメに決まってんだろ。お前さ、もうちょっと愛想よく出来ないの?藤を見習えよ」
「いや…藤くんのあれはある種才能ですからね。私にそんなこと言うなら浩志にも言ってやってくださいよ。あの不機嫌な顔どうなんですか」
「俺には不機嫌そうに見えないけど。向こうの女子が寡黙でかっこいいって言ってるの聞いたし。ほら、お前もにこにこしてないと中原取られるぞ」
「…お疲れさまでした。帰ります」
ち、と舌を打ちたいのを堪え、無理やり微笑んで言うと村澤さんの顔は焦ったようなものになった。いや、嘘、冗談俺が悪かった、と慌てた声を出した村澤さんを置いて階段を上る。
外に出てみると入り口の前にスタンド灰皿が置いてあった。それを見て部の飲み会で居心地が悪くなった時、こっそり抜け出して浩志と煙草を吸っていたことを思い出す。
凄く遠い過去のような気がする。そうだ、近頃は浩志とふたりで飲みに行っていない。約束なんてものもなく当たり前のように飲みに繰り出す夜はもう来ないのだろうか。
ひっそりと夜風に当たりながら溜息をつくと背後のガラス戸が開く気配がした。振り返らずとも分かる。ふ、と笑って目を伏せれば火打石の小さな音。それからゆらりと煙草の匂い。