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第1章 トレンチコートのおんな
 それで、二人ともお酒が回ってきた頃、こんな話になった。

 「わたし、お金はいっぱい持ってるの。夫は資産家だからね。でも・・・・・・」

 急に現実的な話になったなと思いながら、さっきの太鼓に深い意味があったのかが、やはり気になる。帰ってWikipediaで調べなきゃ!と思っていた。
 マスターがサービスで赤ワインを出してくれる。鈍い照明、透き通ったステンドグラス、そしてAの深刻な呟きとその面影。
 手元のグラスが、カウンターに深紅のいやらしい色合いの影を落としていた。

 「そろそろ、22時になりますから、お開きにしません?」
 
 私はあえて、彼女との談話から切り上げようとしたが、勿論、明日は出勤日であるからに遅くまで居座る訳にもいかない。それに、Aには子供が居る。

 「Aさん、お子さんたち大丈夫ですか?」
 「えぇ、家政婦さん居るから、大丈夫よ」

 えっ家政婦雇ってるの?スゴいなと思った。

 「でも、お母さんに居てもらいたいのが、お子さんたちの気持ちじゃないですかね?」

 店内の客もそろそろ入れ替わってきている様だった。彼女のまつ毛や目元が、0.1カラットのダイヤのようにふと濡れていることに気づく。
 
 「健也くんには分からないのかしらね、私の気持ち」

 いや、分かってるよ。お前みたいな母親だったら、そりゃ子供も、なぁ、ねぇと。しかし、私は再び煙草に火をつけてから、黙って彼女の話に耳を傾け続ける。

 「夫が冷たくてね。子供からも好かれてないだろうし」
 「・・・・・・、いや、んー」
 「家庭内別居状態なの、わたし」

 なるほどなと思いながら、目をステンドグラスの方へ向けて、ただ黙想するしかなかった。目の前には、飲み干された後の空のグラスが二つ、綺麗に並んで置いた状態だった。
 
 「マスター。いまお会計、どれくらいになってます?」

 マスターが伝票を見ながら、電卓で計算してくれる。遠くでシェイカーが何かのSpumoniを作っていた。

 「7,000円いかないくらいですかね?」
 「すんません、ありがとうございます。おあいそお願い出来ます?」

 Aが我に返って急にこう言う。

 「健也くん、いいのよ、私出すから。大丈夫だから」

 私は正直、器が小さいのか胸くそ悪い気持ちになっていた。吸っていた煙草を灰皿に力を込めて潰す。


 

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