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花菱落つ
第1章 躑躅ヶ崎館
「承知いたしました。たやすいことにございます」

 千代女は信玄の頼みにあでやかに笑んでみせた。女としての自分の魅力を最大限に知り尽くした者のみが持つ笑みだった。大概の男なら一瞬で千代女の虜になる。だが相手は世に名高い「甲斐の虎」武田信玄。閨にあっても鋭さを残した眼差しは、決して色に溺れることはない。

「甲賀望月の出であるそなたにしかできぬことじゃ。あとで源助に書状を届けさせるゆえ」
「高坂様を使い走りに?」
「なに、あやつもたまには骨休めが必要よ。信濃でゆるりと温泉にでも浸からせればよい」

 信玄の言う源助とは腹心の海津城主高坂昌信のことだ。高坂は奥近習から上がってきた家臣で、高坂家に養子に入る以前の名を春日源助という。年は信玄より六つ下の三十四歳。少々堅苦しいのが難点だが非常に有能で、今では対上杉の重要な拠点海津の城主となっている。さらに信玄の衆道の相手になるだけあり目鼻立ちのすっきりした色男だった。
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