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喝采
第2章 コーヒー・カンタータ
「atって、オーストリア?」

 雫石のメールアドレスの末尾はjpではなくatだった。

「そうだ」
「へえー。初めて知った。それと、ヨハネ受難曲について書かれた本で、何かおすすめはないか?」

 ヨハネ受難曲はキリストの受難の物語だ。しかもエヴァンゲリストというポジションで、物語を語らなければならない。バッハの歌い手として駆け出しの谷田部にはかなり難易度が高かった。何か参考になる本があれば、テキスト解釈の手助けになるだろう。

 だが谷田部の質問に、雫石は冷たく乾いた眼差しを向けた。

「それは、僕ではなく斉賀さんに訊いた方がいい。日本でどんな本が出されているか、日本を拠点にしていない僕にはわからない。向こうの本よければいくつか紹介もできるが」
「……向こう、ってことはやっぱドイツ語だよな。大人しく斉賀さんに訊くことにするわ」

 二人はすでにコーヒーを飲み終えていた。谷田部は伝票を持ってレジに向かう。

「マスター、ごちそうさま。相変わらず美味かったぜ」

 雫石の分まで会計するが、雫石は自分の分は自分で払うと言った。

「俺から誘ったんだし、このくらい気にするなよ。友達じゃねーか。どうしても気になるのなら、ヨハネで会ったときにでもなにかおごってくれればいい」
「ああ。わかった」

 谷田部は車を呼んで帰るという雫石と別れた。
 雫石は一見冷たい感じだが、話してみるとそうではなかった。無口で愛想はないが、決して冷たくはない。谷田部は雫石と親しくなりたかったがあせることはない。野良猫を手懐づけるように、少しずつ距離を縮めていけばいい。なにより、また一緒に歌えるのだから。

 「ヨハネ受難曲」の公演が待ち遠しかった。
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