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喝采
第10章 我、深き淵より御身に祈る
 退院する雫石を迎えに来たのは両親ではなく、斉賀の妻瑶子だった。これからしばらくの間、ウィーン市内の斉賀宅で世話になることになっていた。瑶子の夫、一臣は仕事で日本におり年内一杯は不在のため、瑶子に後事を託していた。

「……ご迷惑をおかけします」
「いいのよ、気にしないで。玲音くんは私たちにとっても息子みたいなものなんだから」

 瑶子は手入れの行き届いたボブヘアーを揺らし、闊達に笑った。瑶子の動きに合わせて大ぶりのピアスもゆらゆらと揺れる。

「だから遠慮しないで、せめて一人で歩けるようになるまでウチでゆっくりしてね」

 入院中まったく見舞いにくる気配のない雫石の両親に対し、江戸っ子気質で少々血の気の多い瑶子は本気で喧嘩をした挙げ句「それなら玲音くんはウチでもらう!」と啖呵を切ったらしい。

「……ありがとうございます」

 古いアパートの二階にある雫石の自宅に、いまだ車椅子の雫石が一人で戻るのはどう考えても無理だったろう。斉賀夫妻の申し出は非常にありがたかった。

 斉賀の家で、雫石は絶望に身を委ねたまま、ただ月日を過ごした。リハビリもせず歌も歌わず、窓辺に座って日がな一日庭を眺め、物思いにふけるだけの毎日だった。
 瑶子はそんな雫石に静かに寄り添い、雫石のしたいようにさせてくれた。
 年が明け、斉賀がウィーンに戻るまで、そんな平穏で空虚な日々が続いたのだった。
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