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忘れられし花
第1章 序
 季節はもう春だというのに、冬のような冷たい雨が夜の石畳を濡らしていた。

「行くぞ。私は松永と言う」

 松永と名乗った中年の男は、雨の中を足早に歩き出した。濡れた石畳が街灯の照り返しを受け白く光っている。

「お前の名は」
「谷山奏です」
「年は」
「十五になりました」

 松永は軽く頷き、何の感情も感じられない目で奏を見た。男娼館で春をひさいでいた奏は、一見の客である松永にいきなり身請けされたのだ。一瞥しただけでまぐわうこともせず奏を連れ出した松永は、門番に証文を見せ色街から出ると、辻馬車を拾った。情愛から身請けをしたのではないことは、奏にもわかっていた。

「これからお前には、私と共にさるお方の傍に仕えてもらう」

 いつから男娼館は口入れ屋になったのだろう。奏は驚いた。使用人が欲しいのであれば口入れ屋に行くのが常識だ。わざわざ身請けをしてまで、男娼を傍仕えにする意味がわからない。男娼である奏が傍に仕えるということは、主人の色の相手をしろということなのだろうか。
 松永は厳しい顔でじっと目を瞑り、奏に質問する隙を与えなかった。

 やがて馬車は大きな屋敷の裏手に止まった。二人は裏門から敷地に入り、鬱蒼とした木々に隠されるようにして佇む建物に入った。

 今日はすでに夜も遅いということで、奏は部屋を与えられ眠ることになった。だが今まで昼夜逆転した生活を続けてきたため全く眠くならず、明け方になってようやく微睡みに落ちたのだった。
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