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僕の美しいひと
第2章 夜の聖母
「…子爵…夫人…?」
…そこにはボルドー色のイブニングドレスを身に纏った高嶋子爵夫人 貴和子が佇んでいた。
奥方が着るイブニングにはやや派手すぎる色合いだが、不思議と貴和子の華やかな美貌には良く似合っていた。
オーストリッチの肩掛けをしどけなく、その白く細い肩に掛け、ゆっくりと歩み寄って来る。

「貴和子と呼んでくださらない?
…私なんかとお話ししては、お母様に叱られるかしら?」
長く濃い睫毛に縁取られた美しい瞳が、しっとりと郁未を見つめる。
「いいえ。お母様…母はそんなこと申しません」
匂い立つような色香に満ちた唇が綻んだ。
「そうね。お母様はお優しい方ですものね。
ほかの方のように私に意地悪もなさらないし、とても親切にしてくださるわ」
「…は、はい…」

郁未は、母やナニーや家政婦、メイド以外の女性と話したことはない。
学校は男子校だから同年代の女子とは口を聞いたこともない。
貴和子とは何度か貌を合わせたことがある程度の知り合いだ。
だから、年上の…しかも若くこんなにも美しい夫人に話しかけられて、どうしたら良いか分からないのだ。

もじもじする郁未を、貴和子は柔らかく微笑みかける。
「士官学校に入学されるのね」
「…はい…」
「素敵だわ。郁未さんは上品だしお綺麗な貌をされているし…さぞや立派な将校さんになられるでしょうね」
好意的な貴和子の言葉に、郁未はうなだれる。
「…僕なんか…駄目です…」
…美しく魅力的な貴和子を目の前にすると、益々自分の度胸のなさを思い知らされる。
…兄様達なら臆せずに話せるんだろうな…。
「気が弱いし、虚弱だし、怖がりだし、泣き虫だし…運動も苦手だし…」
言っている内にどんどん不安が募る。

「…郁未さん…」
「…本当です…。…なのに…どうして士官学校でやって行けるなんて思ったんだろう…。
…僕なんか…僕なんか…落ちこぼれのみそっかすなのに…!」

大叔母の剣のある言葉と表情が蘇る。
…「嵯峨家の子どもは誰よりも強く賢く完璧でなくてはならないのですよ」

…無理だ!そんなの…絶対無理だ!

胸に熱いものが込み上げ、見つめている足元の景色が歪む。

…と、郁未の目の前に白く美しい手が差し伸べられた。
「…ワルツだわ。郁未さん、踊ってくださらない?」
驚いて見上げるその先に、貴和子の慈愛に満ちた温かな微笑みがあった。


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