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第8章 十六夜月(いざよい)

「雅様!」

東海林は大きな音を立てて、立ち上がる。

ティーカップから薔薇の紅茶が溢れ、純白のテーブルクロスにピンク色のシミを作った。

後藤が取り乱した東海林を驚いた顔で見ていたが、東海林は構わず先を走る雅の後を追った。


クスクスクス……。

市松模様に施された大理石の廊下の先に、駆けていく雅の姿と笑い声を捉える。

腰まである長い緑の黒髪が、ゆれる、揺れる。

あまりにも白すぎる白磁のふくらはぎと、黒髪から時折垣間見える白い首筋を目の当たりにし、東海林は軽い目眩を覚える。

花を積んでいるときに移ったのだろうか、むせかえるような濃い薔薇の薫りが、東海林の理性に紗をかけていった。

(雅様――)

気がつくと、東海林は腕の中に雅をかき抱いていた。

少し背が伸びたとはいえ、まだまだ小さな雅を後ろから抱き締めると、胸一杯にその薫りを吸い込み、黒髪に口付ける。

薔薇の薫りに酔わされたように、夢中でその身体を抱き締め、心許無いその抱き心地を味わう。

「……痛いわ、東海林」

小さく呟く雅の声に我に返り、東海林は慌てて拘束を解く。

「……――っ」

(何を、しているのだ、私は――)

くすり。

雅は上目遣いで軽く東海林を睨むと、するりと腕から抜け出し、またクスクスと笑いながら応接室へと駆けていった。

「………………」

(……誰、だ?)

雅の黒い宝石の様な瞳の中に、微かに灯った、男を惑わせる妖艶な炎。

(あれは、誰だ――?)

東海林は追いかけるのも忘れ、誰も居なくなった長い廊下に愕然と立ち尽くした。



応接室の扉をこっそり開くと、月哉と女性が深刻な表情で対峙していた。

「……みぃつけた」

小さな女の子がかくれんぼをしているかのように愛らしく呟くと、雅は満足そうに、にこりと嗤った。



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