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第8章 十六夜月(いざよい)
「……雅?」

雅はまじまじと月哉の顔を穴が空くほど見つめていたがやはり解らないようで、両腕で自分自身を抱きしめて小さくなった。

「……だれ?」

か細い声で月哉に疑問を投げ掛ける。

「……雅。私の事を……怒っているのか?」

何も知らない月哉は、妹が自分を拒絶するために知らない人のふりをするのだと取ったようで、今まで聞いた事もない、弱々しい声で問いかける。

一部始終を見守っていた医師が月哉に、雅は一時的に記憶障害になっていると説明する。

「一時的に……ですか? このままずっと思い出さない事も、ありえるのですか――っ?」

月哉は問い詰めるように医師に食ってかかる。

「……まだ……解りません」

しん、とそこに居た皆が黙り込む。

「……私……私のせいだ。雅の気持ちを無視して、私か雅を追い込んだから――」

月哉は雅の左手を握りしめ、赦しを乞うように涙を流して懺悔し続ける。

悲痛な懺悔を繰り返す月哉と、自分を取り巻く全てに訳が解らず混乱する雅を、東海林は見ていられず顔を背ける。

誰もが言葉を発せず、重苦しい沈黙が漂っていた。

「…………、なか、ないで……」

掠れた声がぽつりと言葉を紡ぐ。

「……なかないで」

雅は空いた右手で月哉の頬を濡らす涙を拭い、哀しそうにもう一度呟く。

「……雅、……雅っ」

月哉は雅を抱き締めて、何時までも泣き続けていた。



東海林は睡眠不足の脳を起こそうと、コーヒーを飲みに病院のカフェに来ていた。

五年前に止めたタバコを、こういうときは無性に吸いたくなる。

高校生のバイトだろうか、雅とさほど変わらない背丈の小柄な少女が、東海林の前にコーヒーを置いていく。

その後ろ姿を、東海林は見るともなしに眺めていた。

(雅様は記憶を無くしても、月哉様への執着は消えないのだろうか……)

先程の雅の様子を思い出す。

自分だって何も解らず錯乱してもおかしくないのに、目の前で涙を流す兄を見て辛そうな顔をした雅。

(思い出さない方が、幸せなのかもしれない――)

どうやったって雅が一生兄の月哉といることは出来ない。

月哉には高嶋敦子という結婚を前提とした恋人がおり、また、月哉には月哉の人生がある。

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