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蘇州の夜啼鳥
第2章 かりそめの恋
…翌朝も快晴だった。

暁蕾の熱はすっかり下がり、朝風呂に浸かるほどに元気になっていた。
…やっぱり若い子は回復力が違うんだな…。
密かに感心する。
片岡は暁蕾にマダムから借りた温かな毛糸編みのストールを掛けてやる。

「さあ、朝食にしよう。
マダムの特製の朝粥だそうだ。
冷めないうちに食べよう」

バルコニーのテーブルで朝食を摂る。
女将手製の粥は鶏の出汁の効いた芯から温まるような美味しさだった。
揚げパンのような油条をちぎって浮かべて食べるのが中国流らしい。
爽やかな茘枝や杏子、身体を温める生姜茶も女将の優しさが感じられた。
「…美味しい…!」
暁蕾は瞳を輝かせ、笑った。
…昨夜の涙が嘘のようだ。
けれど、確かにあの暁蕾も真実の暁蕾なのだ。
明るさと強さの裏に、必死に哀しみに耐えてきた脆く頼りなげな一面を隠していたのだ。

穏やかな時間が流れていた。
暁蕾は生成りのチャイナブラウスに、薄桃色のチャイナパンツ。
片岡も濃紺のチャイナシャツに黒いチャイナパンツ…と、さながら中国人の恋人同士のような錯覚すら覚える。
…馬鹿な…。
暁蕾はガイドで自分はただのトラベラーだ。
…今だけ、ほんのひとときだけ、人生が交わったに過ぎないのだ…。
頭に浮かんだイメージを片岡は振り払おうとする。

…バルコニーの手摺の先には小さな運河が流れていた。
…やや苔色がかった翡翠色の水面が、朝陽に輝いている。
まだ時間が早いので、観光客の舟もない。

じっと水面を見つめていた暁蕾が、ふいに綺麗な声で唄を口ずさみ始めた。

朝の風に乗り、その唄は柔らかく優しく空気に溶けていった。

「綺麗な唄だね。何て言う唄?」
「…大きな河と小さな恋…て言う唄です」

…あの河はとても大きくて、私とあなたはとても小さい…。
けれど私たちの恋は、世界一の恋です…。

…暁蕾はもう一度、夜啼鳥のように綺麗な声で唄った。

「…中国の古い唄よ。
マァマがよく唄ってくれたの。
マァマは唄が上手かったの」

暁蕾が振り返り、はにかんだように微笑んだ。

…大きな河と小さな恋…。

…美しくきらきらと輝く娘…。
健気な、可愛い娘…。

…だめだ…。
好きになってはいけない…。

片岡は少年のようにときめきに迅る胸を、必死に抑え込もうとした。

…俺に彼女を好きになる資格は、ないのだから…。

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