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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
…広々としたバルコニーには、冷たい真冬の風が、刺すように吹きすさんでいた。
けれど、火照った頬を冷やすのには、ちょうど良かった。

…大広間では、まだ賑やかに歓談が続いている。
透明な硝子窓の奥、幾重にも重なるレースのカーテン越しに鮮やかな貴婦人たちのイブニングドレスが透けて見えた。
…隣りの舞踏室では、弦楽団が華やかなヨハン・シュトラウスを奏で始めているから、そろそろ舞踏会の時間なのだろう。
そんな中、わざわざバルコニーに出る酔狂な人間など一人もいない。
混乱と動揺の頭を冷やすのにはもって来いの場所だ。

狭霧はバルコニーの欄干に捕まり、深呼吸をした。
段々と頭が冴え渡ってくる。

…よく考えたら、俺が怒る筋合いじゃないな…。

貴族の世界では、不倫や浮気は日常茶飯事だ。
日本でも、そうだった。
ゴシップ誌では、連日貴族の当主や奥方の不倫の記事がまことしやかに書かれていた。
その中に、北白川伯爵の名前が挙がったことはないとは思うが…。

…けれど、もしあったとしても不思議ではない。
北白川伯爵は独身だ。
何をしようと咎められることではないのだ。
とりわけここamourの国、フランスでは、恋愛は上流階級の大人の一般教養みたいなものだ。
むしろ、貴族の夫婦が真剣に愛し合う方が奇異な眼で見られるほどだ。
夫も妻も別の愛人を持つのが公然の事実であり、それを糾弾されることはない。

…だから、あんな風に貴族の奥方とキスをしたって…。
第一、何で俺が動揺しなきゃならないんだ…!
…伯爵が誰と付き合おうと寝ようと、関係ないじゃないか…。

そう心の中で呟いた途端、胸がちくりと痛んだ。
…何の…痛みだよ…。
狭霧はため息を吐きつつ、伯爵の端麗な面影を振り払うように髪を掻き上げた。

…と、バルコニーの扉が開く気配がした。
人々が隣室の舞踏室に移動する騒めきも漏れて来る。

…そろそろ、戻らなきゃ…。
ワルツが始まるなら、伯爵の支度をしなくては…。
踵を返そうとしたその時だった。

背後から、その皮肉混じりの声が石飛礫のように飛んできたのだ。

「…こんなところにいたのか。
山科の御曹司をたらし込んだ性悪な男妾は」



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