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鬼の哭く沼
第7章 花は綻ぶ
ようやく言えた。
名前を呼んで、驚いたように動きを止めた大蛇。逃げるように去った後ろ姿。こうして今も部屋に閉じ籠り、姿を見せない理由。きっとそれは大蛇の姿が原因なのだろうと思った。どうしてかなんて、それこそ知らない。鬼だから、蛇だから。妖に詳しく無い香夜に、どちらがどうかなんてわからない。自分なんて人間だ。この世界では自分の方こそ異質な存在じゃないか。
九繰には、ここへ来るところを見つかり止められた。半端な好奇心で踏み込むな、と。それを無視してやって来た。
半端な好奇心、そうかもしれない。色々な物事に対しての自分の気持ちにまだ決着がついていない今、悪戯に口を出す権利なんて無い。でも、知りたいと思ったのだ。純粋に須王を知りたいと思ったから、来たのだ。
―― オ前ニ、何ガワカル
少しの静寂の後、中から返事があった。絞り出すような声だ。聞き取り辛いしゃがれたその言葉にも、香夜は動じない。そう言われると思っていた。だから、答えた。
「わからないよ。全然。わかるわけないじゃない。だって私は何にも須王の事知らないから。でもね。知らないからわからないのと、知って理解した上でわかろうとしないのじゃ意味が全く違うと思う」
今の貴方が、貴方であるだけでいいの、なんて都合の良い嘘だ。
何も知らないまま相手の事が分かるなんて、自分がそんな出来た人間じゃないと知っている。何も知らないまま、全て受け入れて分かったふりをする事も出来ない。
中途半端な好奇心?上等だ。それがなければ前に進めないなら、いくらだって気にかけて、知りたいと思ってやる。
言いたく無い事は言わなくても良い。構わないから。でも、話しても良いと思えるところから、少しずつで良い。「須王」を教えて。
「でもそれじゃフェアじゃないから、私のことも知って欲しい。そういうのは、駄目なのかな」
最悪の出会いだった。
大嫌いだった。
でも、全部「だった」。過去形。
もうとっくに気付いている。心は動き出してしまったから。
香夜の目の前で、襖が開く。そっと、躊躇いがちに。
―― 天岩戸が、開いた。
「ありがとう」
もう一度礼を言って、香夜は笑った。
そして内側から開いた襖に手をかけ、招かれるまま部屋の中へと入っていった。