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鬼の哭く沼
第7章 花は綻ぶ

「いた、痛い…ちょっと須王、本当に痛い…!」

「…………」


香夜の声にはっとしたように腕の力が緩められ、次いでそっと頬を撫でられそのまま顔を仰向かされる。眉を寄せ、香夜を見つめる眼差し。切なげなその表情に続く文句が喉奥に飲み込まれ、消えていく。

(ずるい)

その顔は反則だ。

須王の指は香夜の顔を確かめるように頬から耳の後ろを撫で、輪郭を滑って顎へと降りて行く。先程までの涙が乾き、轍として残る頬をまるで壊れ物に触れるかの如くゆっくり、酷く愛おしげに。

(どうしよう…)

どうしたら良い。
香夜は唇を震わせ喘ぐ。心臓が、どくどくと音を立てて煩いくらいだ。身体が痺れたように動かない。触れられたくない。それなのに、触れられたい。指の触れた肌が、焼けるように熱を帯びていく。

(どうしよう)

蓋をしようと、懸命に無視して閉じ込めていたものが、溢れてしまう。

障子窓から差し込む朝日が、須王の赤く燃える髪を照らして輝く。透き通るその赤は、須王の鱗の色だ。

なんて美しい、赤。

逆光で影を作る顔が、香夜に近づきそっと鼻頭が触れ合う。吐息が、唇から顎へ、そして咽元へと流れて行く些細な感触にぞくりと背筋が震えた。


「す、お……」


僅かに細められた、濃い赤青の瞳。須王は何も言わない。香夜を見つめたまま、顎に添えていた指をじわりじわりと首筋に滑らせ鎖骨まで降り、結わえた飾り紐に触れる。それを贈った本人の瞳と同じ、蘇芳色の紐をなぞり連なる銀の蝶に触れる。ちりり、と愛らしい鈴の音が鳴った。


「お前が、欲しい」


低く、掠れた甘い声。
香夜は目を見開いた。言い知れぬ感覚に肌が粟立つ。視線は外されないまま。


「……抱きたい」


言って、香夜の上唇を食む。ゆるりと舌先が唇の隙間を舐め、手が香夜の身体を這い肩甲骨の辺りを撫で上げる。ぞくぞくとした震えに慄き、強く目を閉じた香夜の夜着の襟からそっと指先が忍び込み髪の付け根を優しく撫でる。
触れるだけの指先。たったそれだけで鼻から甘い吐息が抜けていく。


「香夜」


名前を呼ばれるだけで、身体の芯に熱が灯るようだ。これまでの戯れのような愛撫とは明らかに違う、情欲を纏った声。当然、出逢ったばかりのように力で捩じ伏せる強引なものとも違う。ただただ優しく、香夜の身体に触れながら待っている。





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