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鬼の哭く沼
第7章 花は綻ぶ
夜明け前の中庭。
上がったばかりの雨の匂いに満ちた空気が、九繰の髪を湿らせる。
白々とした東の空はうっすらと雲を残すのみで、やがて昇る太陽に心地良い雨上がりの空気は一掃されてしまうのだろう。しっとりとした空気は嫌いではないから、少し勿体無い気もして深い藍色に染まる薄明かりの空を仰ぐ。
見上げる建物の頂きに、今あの娘は居る。
半端な好奇心が身を滅ぼす、そう忠告した己の言葉を受け止め、その上で笑ってみせた人の娘。
『知りたいと思う事が好奇心なら、後悔はしない。須王を知りたいの…後悔するなら、知らないでするより知ってからした方が、ずっといい』
妖よりもずっとずっと短い生しか持たない、赤子も同然の小娘の言葉に九繰は何も言えなくなった。笑みを刻む黒真珠の瞳を、美しいと思った。
『忠告、ありがとう。九繰…実は私が嫌いでしょう?』
はっとした。
何故、と問うと娘はわからない、とまた笑う。
『なんとなく…かな。いつも傍に居てくれたのも、須王の代わりに監視してたのかな、って。賭けも…初めは本当にただの暇潰しかとも思ったけど、それも違う気がして』
須王を、守りたいんだろうな、って。
違ったらごめん。そうはにかむように言って頬を掻く姿に九繰は思ったのだ。
人を見る目には自信があったのだが…どうやらこの娘を見誤っていたようだ、と。なかなかどうして鋭い観察眼に、降参とばかりに諸手を上げた。
なんとなく、で人を化かす事に長けた己を見破り、須王の正体に気付いた娘。この娘ならば、とも思う。
褒美に九繰は己の誠をほんの少し、香夜へ差し出した。
「そうじゃな。そなたの事は嫌いじゃった…この一時前まではの」
九繰のその言葉に満足そうに笑って、香夜はぺこりと頭を下げ身を翻した。立ち去る背を見送って、数刻。
ちかりと視界の端に陽の光が差す。夜明けだ。
朔の夜が明け、須王も元の姿に戻っている事だろう。朔の夜には必ず雨が降る。蛟である須王の性質に引きずられてのことだろうが…次の朔の夜はきっと晴れるに違いない。
不器用な友の雨が降り止んだ事に、九繰は目を細めて薄い唇に笑みを刷いた。
それが、例え僅かな間であったとしても。
「さて…いつまでそうしているつもりかのう」