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第1章 エリーゼのために…

　88

「もうこの心臓に食べられちゃう…
　
　そう本当に思っていたのよ…」


「え……」
　僕はそんな葵さんの慟哭の言葉に絶句してしまう。

　いや、応えようが無かった…


「でもね…」

　でもね…

「だからあの頃は毎日が憂鬱でね…
　ふと夕方に二階の部屋から窓の外を眺めていたらね…」

　駿が学校帰りに家の脇の坂道を登っくるのを見かけたのよ…

「その時だったわ…」

　ドキンっ…

　と、激しくこの心臓が高鳴ってさぁ…

「心が昂ぶってさぁ…
　急にソワソワし始めてさぁ…」

　そう、駿にこの心は…

　一目惚れしたのよ…


「えっ…」

　一目惚れって…

「そう一目惚れよ…
　それからよ、急に心に
『エリーゼのために…』の楽曲が降りてきて…」

　毎朝、夕の駿の登下校時間に合わせて…

『エリーゼのために…』を弾かせるのよ…

「あ…」

　確かに、夏休み明けの九月中旬あたりから、毎日の登下校時に
『エリーゼのために…』が聴こえてきていた…

「でしょう…」
　葵さんは微笑みながら呟く。

「う、うん」

「きっとそれはねぇ…」

　この心が『エリーゼのために…』の調べで駿を誘っていたのよ…


「そ、そうなんだ…」

　確かに、毎日の朝夕の登下校時のあの楽曲の調べはしっかりと耳に入り…

　心に刻まれていたんだ…

　それに、土日の休みでこの葵さん家の脇を通らない日でも…

　僕は、無意識にこの楽曲を口笛で奏でていたんだっけ…

　それくらい、完全に心に染み込んでいたんだ…

「…でしょう？」

　この心の作戦は大成功だったのよ…

「だから…こうして、駿と仲良く、ううん、愛し合えられる様になったから…」

　いえ、愛し合えたから、もう駿を誘うためのこの『エリーゼのために…』を弾く必要がなくなったのかも…

「ううん、必要なくなったのよ」

「そ、そうかぁ…」

「うん…そうよ」

　まるで『エリーゼのために…』
　じゃなくてさぁ…

『駿を呼ぶために…』
　みたいだよねぇ…

　葵さんは穏やかで、にこやかにそう微笑みながら囁いた。

　ぼ、僕を呼ぶために…か？

「だ、だったら、今度の、この…」

『G線上のアリア』にも何かしらの意味があるのかなぁ？…

「うーん、どうかしらね？」
　
　葵さんは首をかしげながら、呟いてくる…