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雨夜の灯(あまよのあかり)ー再会から始まる恋
第1章 「黒い傘の下で」

雨の音は、世界を遠ざけるように静かだった。
アスファルトに落ちるしずくは無数の輪を描き、傘の布地を叩く音が胸の奥まで染み込んでくる。
芦原澪は、今日も黒いフードを深くかぶって歩いていた。
ひと気のない住宅街の路地裏。信号の点滅も、民家の灯りも、彼女には関係がない。
顔は伏せたまま、道に咲くあじさいの色にも目を向けず、ただ、歩く。
誰とも話さず、笑わず、日々をやりすごすことだけを考えていた。
それが澪の、傷を守る方法だった。
けれどその日、彼女は足を止めた。
ふと、かすかな鳴き声が耳をかすめたからだ。
――キャン……ッ、キャン……。
茂みの向こう、小さな段ボール箱。
雨を吸って歪んだ段ボールの中で、小さな命が震えていた。
濡れた子犬が、一匹。
誰かに捨てられたのだろう。泥だらけの体。澪と同じ、声を持たない存在。
しゃがみ込み、澪はその子犬をそっと抱き上げた。
ぬくもりはかすかで、震えはひどく、雨の冷たさが皮膚の下まで染み込んでくる。
傘はもう、意味をなさなかった。
フードの隙間から雨が頬を伝い落ちる。それでも、彼女はその子を胸に抱きしめた。
そのときだった。
「……澪?」
声がした。
懐かしさと、嫌悪と、ざわつく記憶が同時に走る。
澪は動けなかった。耳にこびりついたその声を、彼女は忘れてなどいなかった。
傘を差した女性が、立っていた。
濡れた彼女の視線は、まっすぐ澪に注がれていた。
「やっぱり、あなただったんだ……」
三枝環。
高校の頃、澪の心を壊した張本人。
世界から色を奪ったその指が、今、そっと澪の頬に伸びかけて――
澪は咄嗟に後ずさった。
抱きかかえた子犬が小さく鳴く。
「触らないで」
声に出さず、目だけがそう告げていた。
けれど環は、それでも微笑んだ。
今にも泣きそうな顔で、静かに言った。
「――あのとき、ごめんね」
雨音が、また世界を覆っていった。
それでも、澪の鼓動は、はっきりと耳の奥で響いていた。
アスファルトに落ちるしずくは無数の輪を描き、傘の布地を叩く音が胸の奥まで染み込んでくる。
芦原澪は、今日も黒いフードを深くかぶって歩いていた。
ひと気のない住宅街の路地裏。信号の点滅も、民家の灯りも、彼女には関係がない。
顔は伏せたまま、道に咲くあじさいの色にも目を向けず、ただ、歩く。
誰とも話さず、笑わず、日々をやりすごすことだけを考えていた。
それが澪の、傷を守る方法だった。
けれどその日、彼女は足を止めた。
ふと、かすかな鳴き声が耳をかすめたからだ。
――キャン……ッ、キャン……。
茂みの向こう、小さな段ボール箱。
雨を吸って歪んだ段ボールの中で、小さな命が震えていた。
濡れた子犬が、一匹。
誰かに捨てられたのだろう。泥だらけの体。澪と同じ、声を持たない存在。
しゃがみ込み、澪はその子犬をそっと抱き上げた。
ぬくもりはかすかで、震えはひどく、雨の冷たさが皮膚の下まで染み込んでくる。
傘はもう、意味をなさなかった。
フードの隙間から雨が頬を伝い落ちる。それでも、彼女はその子を胸に抱きしめた。
そのときだった。
「……澪?」
声がした。
懐かしさと、嫌悪と、ざわつく記憶が同時に走る。
澪は動けなかった。耳にこびりついたその声を、彼女は忘れてなどいなかった。
傘を差した女性が、立っていた。
濡れた彼女の視線は、まっすぐ澪に注がれていた。
「やっぱり、あなただったんだ……」
三枝環。
高校の頃、澪の心を壊した張本人。
世界から色を奪ったその指が、今、そっと澪の頬に伸びかけて――
澪は咄嗟に後ずさった。
抱きかかえた子犬が小さく鳴く。
「触らないで」
声に出さず、目だけがそう告げていた。
けれど環は、それでも微笑んだ。
今にも泣きそうな顔で、静かに言った。
「――あのとき、ごめんね」
雨音が、また世界を覆っていった。
それでも、澪の鼓動は、はっきりと耳の奥で響いていた。

