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雨夜の灯(あまよのあかり)ー再会から始まる恋
第2章 「小さな鳴き声」

翌日も、雨は止まなかった。
六月の雨は、季節の境をにじませるように静かに降り続ける。
カーテンの隙間から入る薄明かりが、芦原澪の部屋を青白く染めていた。
足元の段ボールに、毛布にくるまれた子犬がいる。
ミルクのにおい。濡れた毛皮の匂い。そして、時折、小さく鳴く。
澪はキッチンの流し台で、ミルクを温めていた。
自分が何をしているのか、よくわからなかった。
けれど、震える小さな体を抱いたあの感触が、どうしても手から離れない。
誰にも話しかけられたくなかったのに。
誰にも見つかりたくなかったのに。
――あの人が、私を見た。
三枝環。
記憶にこびりついたその名を、澪は心の中で呟いた。
あの頃、環はいつも笑っていた。グループの中心で、クラスの空気を支配していた。
澪が静かにしているほど、彼女は面白がった。
髪に水をかけられた日。机に落書きされた日。無視された日。
それはまるで、世界から否定される儀式のようだった。
なのに、昨日――
あの人は「ごめんね」と言った。
なぜ今さら?
澪は思わず手の中の哺乳瓶を強く握った。
そのとき、チャイムが鳴った。
一度、二度。けれどドアを叩く音はない。控えめな音。
澪は動かない。息を殺し、ただ聞いていた。
誰かが、玄関前にいる。傘のしずくが地面に落ちる音。
そして、小さな声が、ドア越しに響いた。
「澪……いるんでしょ。昨日の……子犬、大丈夫?」
息が詰まる。
「……何もしないから。渡したいだけ。これ……ミルクと、ブランケット。子犬のね」
袋のこすれる音がして、やがて足音は遠ざかっていった。
澪は、すぐには動けなかった。
けれど数分後、そっとドアを開けると、紙袋が玄関前に置かれていた。
そこには、ぬくもりが詰まっていた。
小さな犬用の哺乳瓶。あたたかい毛布。そして、やわらかい手書きのメモ。
――『捨てられた命は、あなたと同じじゃない。大切にしてくれてありがとう。環より』
涙は出なかった。
けれど、胸の奥で、何かがふるえた。
腕の中で、子犬が小さく鳴いた。
それはまるで、澪の代わりに心を開こうとする、小さな声のようだった。
六月の雨は、季節の境をにじませるように静かに降り続ける。
カーテンの隙間から入る薄明かりが、芦原澪の部屋を青白く染めていた。
足元の段ボールに、毛布にくるまれた子犬がいる。
ミルクのにおい。濡れた毛皮の匂い。そして、時折、小さく鳴く。
澪はキッチンの流し台で、ミルクを温めていた。
自分が何をしているのか、よくわからなかった。
けれど、震える小さな体を抱いたあの感触が、どうしても手から離れない。
誰にも話しかけられたくなかったのに。
誰にも見つかりたくなかったのに。
――あの人が、私を見た。
三枝環。
記憶にこびりついたその名を、澪は心の中で呟いた。
あの頃、環はいつも笑っていた。グループの中心で、クラスの空気を支配していた。
澪が静かにしているほど、彼女は面白がった。
髪に水をかけられた日。机に落書きされた日。無視された日。
それはまるで、世界から否定される儀式のようだった。
なのに、昨日――
あの人は「ごめんね」と言った。
なぜ今さら?
澪は思わず手の中の哺乳瓶を強く握った。
そのとき、チャイムが鳴った。
一度、二度。けれどドアを叩く音はない。控えめな音。
澪は動かない。息を殺し、ただ聞いていた。
誰かが、玄関前にいる。傘のしずくが地面に落ちる音。
そして、小さな声が、ドア越しに響いた。
「澪……いるんでしょ。昨日の……子犬、大丈夫?」
息が詰まる。
「……何もしないから。渡したいだけ。これ……ミルクと、ブランケット。子犬のね」
袋のこすれる音がして、やがて足音は遠ざかっていった。
澪は、すぐには動けなかった。
けれど数分後、そっとドアを開けると、紙袋が玄関前に置かれていた。
そこには、ぬくもりが詰まっていた。
小さな犬用の哺乳瓶。あたたかい毛布。そして、やわらかい手書きのメモ。
――『捨てられた命は、あなたと同じじゃない。大切にしてくれてありがとう。環より』
涙は出なかった。
けれど、胸の奥で、何かがふるえた。
腕の中で、子犬が小さく鳴いた。
それはまるで、澪の代わりに心を開こうとする、小さな声のようだった。

