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助教 沙霧
第15章 禁忌の果実
 脳裏に、小野小町の歌が浮かぶ。


  『色見えで 移ろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける』
 ――目に見える色には出ないけれど、移ろい変わるものは、この世の人々の心の内に咲く花なのですね。


 今の沙霧の心に咲いているのは、漆黒の、毒を孕んだ花だった。
 誉という名の主が注ぐ言葉という水によって、その毒花は急速に根を張り、沙霧の知性を、誇りを、すべて栄養として食い尽くし、成長していく。

 沙霧は鏡の中の自分を睨みつけながら、自らの指をさらに深く、自身の熱の中に沈めていった。

「誉さま……」

 誉が鏡の向こうにいる。今の沙霧には本当にそう思える。確かに「視線」を感じる。
 それは、学内や街中で注がれる好奇の視線ではない。沙霧の心を深淵まで見透かし、魂をゆさぶってくる冷徹な眼差し。。。

 絶頂が訪れる。

「あぁっ……あっ…っ…」

 沙霧の視界は白く濁り、自分が何者であるかさえ分からなくなる。
 文学部の助教。古典和歌の研究者。そんな肩書きは、今この瞬間、何の価値も持たない。ただ望んだ絶頂に至福の時を味わう、被虐の悦びに支配されたマゾの女。

(はぁ…はぁ…)

 沙霧は荒い息を整えながら、暗闇の中でスマートフォンを操作した。
 画面の光が、汗に濡れた彼女の顔を残酷に照らし出す。

「……終わりました。ご指示通り、鏡の前で…私の淫らな姿を……貴方に捧げました」

 送信。
 沙霧はそのままバスルームの床に膝をつき、嗚咽を漏らした。
 禁忌の果実を、完全に飲み込んでしまった。
 その甘い毒は今、彼女の全身を巡り、身を潜めていた「もう一人の沙霧」の存在を否応なしに沙霧自身に認知させた。

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