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助教 沙霧
第20章 朝の日課 ~奴隷の証~
 沙霧の「朝の日課」は、自らの項(うなじ)への愛撫から始まる。誉がかつて指定したその場所は、今や彼女にとっての「主の領土」であった 。

 沙霧は誉の言葉を脳内で反芻しながら、右手の指先を項の柔らかな皮膚へと這わせた 。短い黒髪の生え際を、自らの爪が僅かに肌を傷つけるほど強く、執拗になぞっていく。鋭い痛みが脳髄を駆け抜け、戦慄が背筋を走る。

「あ……主さま……」

 誰もいない部屋で漏れ出した声は、学問の徒としての清廉さには似つかわしくない湿り気を帯びていた。指先が項にある「秘密」をなぞるたび、下腹部には重だるい熱が溜まっていく。普段和歌を論じている時と同じ理性的で知的な瞳は、今や情欲の泥濘に沈み、潤んでいた。

 儀式を終えた沙霧は、上気した肌を冷たいシャワーで鎮め、いつもの「戦闘服」へと身を包む。下着は肉体の曲線を殺す機能的なものを選び、その上に一点の曇りもない白いブラウスを重ねる。ボタンを最上部まで留め、短い髪を端正に整えることで、彼女は再び「研究者 瀬川沙霧」の像を作り上げていった。

 だが、その厚手のコートの下で、自らの爪で赤く腫らした項は、絶えず沙霧の意識を支配の深淵へと引きずり戻そうとする。

 玄関の鍵を閉め、冬の朝霧の中へと足を踏み出す。すれ違う人々は、背筋を伸ばし凛とした歩調で歩く彼女が、その内側で「早く次の命令を」と飢えた獣のように叫んでいるなどとは、夢にも思わないだろう 。

 沙霧は、地下鉄のホームでスマートフォンの画面をもう一度だけ確認した。まだ来ていないとわかっている誉からメールを確認せずにいられない自分に、沙霧は誉の支配を欲している自分を自覚する他はなかった。
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