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喝采
第1章 ミサ曲ロ短調
 「ミサ曲ロ短調」本番当日は、日差しの心地よい、真冬にしては暖かな日になった。
 早々に楽屋入りした谷田部は、ドアの前に貼られた紙を思わず二度見した。

 紙には名前が二つ記されている。
 谷田部とそして雫石が同室だった。

 このあからさまなやり口は、おそらく斉賀が手を回したに違いない。

 扉をノックするが応答はない。時間が早いせいか、雫石はまだ来ていないようだった。

「うおっ!?」

 誰もいないと思って気楽に足を踏み入れた楽屋にはすでに衣装に着替えた雫石がいて、谷田部は思わず変な声を上げた。

「なんだよ、いるなら返事くらいしてくれよ」
「すまない。いつのまにか眠ってしまったようだ」
「あんたでも居眠りすることなんてあるのか」

 ノックに返事がなかったのは、居眠りをしていたためらしい。生真面目そうな雫石が本番前に居眠りとは、非常に意外な気がした。

「時差のせいだろう。昨日は遅刻して迷惑を掛けた」
「時差……」
「外へ出てくる。時間まで戻らないから、楽屋は好きに使ってくれ」
「おい!」

 谷田部は杖をついて歩き出した雫石の腕を掴んだ。雫石は迷惑そうな顔で掴まれた腕を振り払い、足を止めた。

「なんだ」
「何のための楽屋なんだよ。俺は気にしないからここにいろよ。時間まで寝るなら起こすからさ」

机には開きっぱなしの楽譜と鉛筆。おそらく最終チェックをしていたのだろう。遠目からではよく見えないが楽譜には細かな字でなにやらたくさんの書き込みがされている。ほとんど楽譜に書き込みをしない谷田部の真っ白な楽譜とは対照的だ。

「僕は気にする。集中したいから一人にしてくれないか」
「じゃあ俺がここを出るよ。それならいいだろ?」
「君はまだ着替えてすらいない。だから僕が出た方が早い」

 雫石は谷田部を無表情に一瞥し再び外に向かって歩き出そうとする。斉賀が指定した黒のジャケット、黒い蝶ネクタイ、パリッと糊のきいた白いウィングカラーシャツ。目立つ本番衣装のまま一体どこへ行こうというのだろう。
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