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喝采
第1章 ミサ曲ロ短調
 「ミサ曲」とはカトリックのミサに伴う声楽曲だ。ミサ曲はごく一部の例外を除き、「ミサ通常文」と呼ばれるラテン語のテキストが歌われる。ミサ通常文の構成は「キリエ」、「グロリア」、「クレド」、「サンクトゥス」、「ベネディクトゥス」、「アニュス・デイ」の順で、これらはどのミサ曲でも変わることがない。
 プロテスタントルター派のバッハが、なぜカトリックのミサ通常文に曲をつけたのかはわかっていない。でもそんなことは実はどうでもいいのではないかと谷田部は思う。素晴らしい曲がこうして目の前に存在すること。それで十分だった。

 この「ミサ曲ロ短調」の最後、「アニュス・デイ」はアルトのソロで始まる。
 
 加藤は雫石のことを「すごい」と言っていたが、一体カウンターテノールがどれ程のものだというのか。罵られた怒りもあり、この時点まで谷田部は雫石を完全に見くびっていた。

 オーケストラの前奏に乗り、雫石が歌い始めた時、谷田部は初めて聴く雫石の歌に激しい衝撃を受けた。

 雫石の周囲だけ、空気が変わったように感じた。

 雫石の歌はまさしく奇跡のようだった。カウンターテノールとしての、男性とも女性とも違う音色の声。人の声でないような気さえした。カウンターテノールは皆こんな声をしているのだろうか。それとも雫石だからこの声が出せるのだろうか。

 ついさっき冷たく罵られたことなど、どこかへ吹き飛んでしまった。興奮で顔が火照り、体が熱い。

 どうすればこんな歌が歌えるのか。
 どうすればこんな声が出せるのか。
 どうしてこんなに心が震えるのか。

 もっと知りたい、雫石のことを。

 谷田部は一瞬で魅了された。歌に、声に、そして雫石に――。

 雫石に魅了されたまま、「ロ短調ミサ」のゲネラルプローベは終了した。
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