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喝采
第10章 我、深き淵より御身に祈る
 雫石のための小さなコンサートは、一時間ほどで終わった。雫石は三人に丁寧に礼を述べたあと、改めてシュミットに声をかけた。

「シュミットさん。僕にもカウンターテノールが歌えるでしょうか」

 雫石の問いかけに、シュミットは驚く様子も見せずうなずいた。眼鏡の奥の青い目が柔らかく微笑んでいる。

「ペーターと呼んでくれ。君ならきっと歌えるさ。一度試しに歌ってごらん」

 シュミットから楽譜を渡された玲音は、車椅子に座ったまま姿勢を正した。曲は最後に演奏されたカンタータ三十八番「我、深き淵より御身に祈る」から、テノールとアルトのアリアだ。瑶子の伴奏、斉賀のテノールに、雫石は静かに声を添わせた。

「素晴らしい! 君は今すぐにカウンターテノールに転向するべきだ。一臣もそう思うだろう?」

 曲が終わるとシュミットは顔を上気させ、早口で斉賀に同意を求めた。斉賀はシュミットの興奮した様子に苦笑しつつなだめる。

「それは玲音自身が決めることだよ。だけど、玲音がカウンターテノールとして、類い稀な声質であることは間違いないよ」

 雫石はテノールの中でも最も軽やかで繊細なレッジェーロと呼ばれる声の持ち主だった。力強く輝かしい声ではないが、レッジェーロならではの繊細な表現力が持ち味だ。カウンターテノールに転向する者は元々この声質の者が多いのだ。

「君の歌を聴いてしまった以上、私は君がカウンターテノールに転向してくれると言うまでここに居座るしかない」

 ペーターは雫石の車椅子の隣にあるソフアーに腰をおろした。雫石の顔を覗き込んで親しげにウインクをしてみせる。

「おーい、ペーター。勝手に居座られても困るよ。 ここは僕と瑶子の家なんだけど?」
「ふふふ、いいじゃない、一臣。だって私も玲音くんの声に惚れちゃったんだもん。ね、ペーター」
「瑶子まで……」

 斉賀は大げさにため息をついた。だが、玲音の声がはっきりとカウンターテノールの適性を示していたのも確かだった。
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