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喝采
第11章 マタイ受難曲
 「マタイ受難曲」本番当日は、春らしい陽気の暖かな日になった。雫石と二人、「ツィンマーマン」でコーヒーとサンドイッチの軽食を済ませたあと日が傾き始めた頃に楽屋に入った。斉賀に誘われるようになってから、オペラタウンもずいぶんと馴染みになった。

「よし、バッチリだぜ!」
「何をそんなに張り切っている?」
「気合いを入れてるだけだって」

 身支度を終えた谷田部は「気合いだ、気合いだ!」と連呼したものの、不思議そうな顔をした雫石に完全スルーされてしまう。日本にいる時間の少ない雫石にはわからないネタだったらしい。

「……。今日はご両親も聴きに来るんだろう?」
「ああ、そのはずだ」

 それぞれ多忙な日程の隙間を縫って、雫石の両親とシュミットが今回の公演を聴きに来ることになっていた。

「歌を両親に聴かれるというのは、何だか恥ずかしいな」
「そうなのか?」
「歌は楽器よりも明確に歌い手の心の奥底をさらけ出す。だから歌を聴かれるということは、両親に僕の心を覗かれるような気がするんだ」
「なるほどな。それならいっそのこと全部さらけ出しちまえよ。観客に己の心を全部さらけ出して心のままに歌うのが、俺たちの役割だろう?」
「そうだな」

 少し遅れて着替えを終えた雫石は椅子に腰掛け目を閉じた。

「……本番まで集中したい。静かにしてもらえないだろうか」
「ごめん。そういうところは変わらねえんだな」
「当たり前だ。一年前と比べて多少変わったとしても、僕は僕でしかない。気に障っただろうか」
「いや、全然。変わってない玲音も、玲音らしくて俺は好きだぜ」

 雫石は目を閉じたまま頬を赤らめた。

 やがて一ベルが鳴り、雫石は杖を手に立ち上がった。
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