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喝采
第11章 マタイ受難曲
バッハの「マタイ受難曲」は全てのクラシック音楽の中で最高峰ともいわれている作品だ。「マタイ受難曲」はタイトルからもわかる通り、聖金曜日の礼拝のために作曲されたものだ。そのため現在でも聖金曜日を含む受難節に演奏されることが多く、今日の公演も聖金曜日だった。
斉賀が両手を上げ、静かに動かした。
厳かなコラールで「マタイ受難曲」の幕は開ける。バッハの楽曲におけるコラールは、バッハ自身が作曲したものではなく、バッハの属したルター派の讃美歌を、編曲して取り入れたものだ。
弦と木管だけで構成されたオーケストラが旋律を紡ぐ。
オーケストラ、ソリスト、合唱、ソプラノ・リピエーノが見事に和し、イエスの受難の物語を斉賀の指揮により描き出してゆく。観客は音楽に心を浸し、イエスの受難に思いを馳せる――。
物語の状況を説明し、各声部による歌唱に繋げるのは、エヴァンゲリストである谷田部の役割だ。柔らかな通奏低音に乗せ、物語を適切に進行させてゆく。
そして物語は中盤に差し掛かり、オーケストラを伴ったソロ・ヴァイオリンが哀切な旋律を奏で始めた。「マタイ受難曲」の中でも特に有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、わが神よ」だ。ソロ・ヴァイオリンに導かれ、雫石が歌い始める。
静かに、切なく、この上もなく美しく。
雫石の歌は聴き手の心を揺さぶるものから、もっと奥深く、魂を揺さぶる歌になっていた。ホールのあちこちで、たまらずハンカチで目頭を押さえる観客の姿が谷田部には見えた。
「マタイ受難曲」最後のコラールが終わり、斉賀が観客に向かって頭を下げた。一瞬ののち、割れんばかりの拍手がホールの空気を振るわせる。いつもはブラボーと叫ぶ常連も、叫ぶことすら忘れ、ただただ顔を上気させて手を叩き続けた。
「コレギウム・トウキョウ」の「マタイ受難曲」公演は大成功だった。
斉賀が両手を上げ、静かに動かした。
厳かなコラールで「マタイ受難曲」の幕は開ける。バッハの楽曲におけるコラールは、バッハ自身が作曲したものではなく、バッハの属したルター派の讃美歌を、編曲して取り入れたものだ。
弦と木管だけで構成されたオーケストラが旋律を紡ぐ。
オーケストラ、ソリスト、合唱、ソプラノ・リピエーノが見事に和し、イエスの受難の物語を斉賀の指揮により描き出してゆく。観客は音楽に心を浸し、イエスの受難に思いを馳せる――。
物語の状況を説明し、各声部による歌唱に繋げるのは、エヴァンゲリストである谷田部の役割だ。柔らかな通奏低音に乗せ、物語を適切に進行させてゆく。
そして物語は中盤に差し掛かり、オーケストラを伴ったソロ・ヴァイオリンが哀切な旋律を奏で始めた。「マタイ受難曲」の中でも特に有名なアルトのアリア「憐れみたまえ、わが神よ」だ。ソロ・ヴァイオリンに導かれ、雫石が歌い始める。
静かに、切なく、この上もなく美しく。
雫石の歌は聴き手の心を揺さぶるものから、もっと奥深く、魂を揺さぶる歌になっていた。ホールのあちこちで、たまらずハンカチで目頭を押さえる観客の姿が谷田部には見えた。
「マタイ受難曲」最後のコラールが終わり、斉賀が観客に向かって頭を下げた。一瞬ののち、割れんばかりの拍手がホールの空気を振るわせる。いつもはブラボーと叫ぶ常連も、叫ぶことすら忘れ、ただただ顔を上気させて手を叩き続けた。
「コレギウム・トウキョウ」の「マタイ受難曲」公演は大成功だった。