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埋み火
第3章 跳ね火
≫きりは、俺でいいでしょ?

≫うん。

≫もう職場か?

≫ううん、今日は生理休暇にしちゃった。まだ布団よ。

≫休んだのか、じゃあちょっと待ってろ。



 そう打ってノートパソコンの画面を伏せると博之は始業前のフロアを出て誰もいない非常階段へ移動し、今度は自分から霧子に電話をかけた。


「まったく、他の男にいいだけ触らせやがって。俺のもんだと思ってたのに」

「何で過去形なのよ」

「ああ、今でも俺のものだ」


 数秒の沈黙ののちに、霧子が「私、ひろのものでいいの?」とおそるおそる聞いてきた。


「俺のものじゃだめか?」

「ううん、嬉しい。私、まだひろのものになれてないと思ったから。嬉しい」

「ばか、泣くな」


 鼻をぐすぐす言わせる霧子は、きっと自分の見ていないところでも今までたくさん泣いてきたのだろう。

 自分のような男といる限り、これからも泣かせてしまうに違いない。


「泣き虫」

「そうだよ」

「おまけに甘えん坊だ」

「うん」


 いつもは小賢しく口ごたえをする霧子が何でも認める。

 とうとう泣きじゃくり始めた。


「あなたのことでしか、もう泣かない」

「俺のことなんかで泣くな」


 呆れた声をあげたが、博之は「やっぱり、霧子は俺のことを思ってくれている」という満足もあった。

 何年も自分の存在意義がわからないまま苦しんで生きてきた四十代の疲れた男には、こんな優しくてけなげな女は毒だ。

 確実に心を弱くする中毒性があるとわかっていても、手元に置いておきたくなる。
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