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忘れられし花
第3章 母の顔
 深夜、奏と松永はお方様を抱え、本館を訪れた。玄関では馨が井上と共に三人を待ち構えていた。

「お祖父様の柩です」

 祖父の柩に案内されたお方様は傍目からもわかるくらいはっきりと身を固くした。奏は柩とお方様の間に立ち塞がるようにしながら、馨に抗議した。

「クソジジイが死んで、お方様はやっとクソジジイから解放されたんです。お方様を悪夢に引き戻すのはやめてください」
「それはどういう意味だ?」

 お方様が微かに頷くのを見て、松永はお方様の着物を緩め、肩から着物を落とした。
 露になったお方様の華奢な体には、幾つもの傷跡があった。

「これは……」

 馨は息を飲み、お方様の体を食い入るように見つめた。

「あのクソジジイは離れにやってきては、実の息子であるはずの、お方様の体を弄んでいたんです。この傷は全部クソジジイがつけたものです」
「お祖父様が兄上に……」

 実の娘に自らの子を産ませた祖父は、さらにその子にまで手を出していた。
 あまりにも鬼畜な所業に、馨は怒りで目の前が真っ赤になった。
 傷だらけの体を馨と執事の前に晒したお方様は真っ直ぐに顔を上げ、身動きひとつしない。
 すぐに松永が、元通りに着物を着せつけた。

「なんということを……! 兄上、申し訳ありません!」

 馨は兄の体を抱き締めて泣いた。着物に焚き染められた香が馨を包む。柔らかく、それでいて芯の強さを感じさせる香。

「馨様……。このような時に汚らわしい体をお目にかけて申し訳ございません。どうかお泣きにならないでください。私のような忌むべき者に、涙などもったいのうございます」

 あまりにも優しく、あまりにも切ない兄の言葉に、次から次へと涙が零れた。
 馨はなぜ奏が前当主のことを「クソジジイ」呼ばわりするのか、涙とともに理解した。
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