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忘れられし花
第4章 松永
 奏はお方様の背中に回した手をゆっくりと動かし、お方様の白い頬に触れた。そしてそのまま色の薄い、柔らかな唇に触れる。

「どうしたのですか? 私の唇に何かついていますか?」
「いいえ」

 奏は意を決してお方様の唇に自分の唇を重ねた。使用人が主の唇を奪うなど、手打ちにされても文句は言えないことだが、他にお方様を慰める方法を、男娼だった奏は知らなかった。お方様は驚いた様子だったが、特に抵抗はしなかった。

 お方様との口づけは、予想以上に情熱的なものになった。おっとりと優しい方だと思っていたけれど、もしかすると本当は、案外激しい方なのかもしれない。

「あっ、すみません! 苦しいですか?」

 濃密な口づけに溺れかけていた奏は、お方様の呼吸が乱れているのに気づいて我に返った。慌てて唇を離し、苦しげに喘ぐお方様の背中をさすった。体の弱い主への配慮を忘れるなど言語道断だ。

「大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」

 呼吸が落ち着くと、お方様は寂しそうに微笑んだ。

「熱が少し上がってきています。今夜はもうお休みください。お方様が眠りにつくまで僕が手を握ってますから」

 それから毎夜、お方様が眠るまで、奏は手を握ってお方様の傍にいた。
 お方様は夜中や明け方に目覚めては、隣で眠る奏のことを確かめるように手探りで触れた。そして確かに隣にいるのだと確認すると再び安心したように眠りにつく。

 そんな日が何日も続いた。

 やがて井上の言った通り、お方様は精神の安定を少しずつ取り戻していった。この分では近いうちに奏が隣で眠る必要もなくなるだろう。本来お方様と奏は、主と使用人の関係でしかない。お方様が普段の調子を取り戻せば、同じ部屋で眠るのはあり得ないことなのだ。お方様の回復は喜ばしいことのはずなのに、奏は素直に喜べなかった。いつまでもこんな日が続けばいいと、奏は密かに願っていた。
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