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忘れられし花
第6章 心の光
 季節は穏やかな春から、じめじめとした梅雨へと移り変わった。

 お方様は気候の変化に体がついてゆけず、床に臥せる日々が続いていた。
 そして梅雨寒のせいで奏まで風邪を引いてしまい、完治するまでお方様の傍に仕えることができなかった。体の弱いお方様に風邪をうつすことだけは、絶対に避けなくてはならないのだ。

 一週間ぶりに奥部屋へ伺候すると、お方様は眠っていた。起こさないよう静かに歩み寄り、寝顔を覗き込む。

「……谷山、もう風邪は治ったのですか?」

 突然声をかけられ、奏は飛び上がった。

「起きてたんですね。体調は完璧です。でもどうして僕だってわかったんですか?」

 様子を見に来るのは何も奏とは限らない。奏が寝込んでいたこの一週間は、他の使用人に定期的にお方様の様子を見るよう頼んでいた。

「驚かせてしまい申し訳ありません。あなたの気配で目が覚めました。……言葉で説明するのは難しいのですが、強いていえば勘のようなものです」

 目が見えない人間はその分勘が鋭くなるとは聞くが、実際に目の当たりすると本当に驚かされる。

「私は谷山が風邪で苦しんでいても、見舞うことすら許されません。たとえ目が見えなくても、足が動かなくてもいい。ただ、苦しんでいる谷山を見舞うことができる強い体が欲しい……」

 祈るような囁きに、奏は無言でお方様の手を握った。
 優しいお方様の願いはいつも他人のため。こんなささやかな願いさえも、決して叶うことはない。それがお方様に課せられた宿命だった。
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