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忘れられし花
第7章 願い
一週間ぶりの馨の来訪で、普段は静かな離れが一気に騒がしくなった。

「いらせられませ」

 光は体を起こし、柔らかく微笑んで馨を迎えた。ここ数日は体調がとてもよく、顔色も明るかった。

「何の用ですか?」

 奏は早速馨を追い払いにかかった。
 せっかく体調のいい光を、馨のお守りで疲れさせたくなかったからだ。
 そもそも人目を避けるために奥まった離れにいるのに、当主の馨が来たら目立って仕方がない。その辺は執事の井上が心得ていて、馨の不在をうまく埋めてくれているらしいが。

「お前に用事などない。兄上にご用がある」

 だが馨は言葉とは裏腹に、奏の方を向いて言った。

「兄上を連れ出せるか?」
「何で……!」

 奏の頭に一気に血が上った。
 何故この午後の一番暑い時間に、わざわざ体の弱い光を外に連れ出さなくてはいけないのか。もし光が倒れたりしたら、馨のせいだ。

「最後まで話を聞け。何も外へ連れ出そうという訳ではない。廊下までで構わない」

 馨は廊下への襖をするりと開けた。
 廊下には執事の井上が控えていた。そしてそのすぐ脇には初めて見る不思議な椅子があった。

「何ですか、この椅子は」

 椅子には脚がなく、両脇に大きな車輪が取り付けられていた。

「西洋で使われている椅子で、車椅子という。兄上のために譲り受けた物だ」

 馨は両手で光の細い手を包むように握った。

「兄上、もしよろしければこの車椅子に座ってみていただけませんか」
「わかりました。谷山、お願いします」
「もちろんです」

 奏は光の体をそっと抱え上げた。生まれつき足の不自由な光は、一人では立ち上がることすらできない。そして光は移動のため誰かに抱えられるたび、いつもとても申し訳なさそうにするのだった。

 奏は廊下に置いてある車椅子に光を座らせ、はだけてしまった裾を整えた。

「兄上のご準備が整ったのなら、そのまま押してみろ」

 車椅子に付けられた取っ手を押すと、脇にある車輪が回転し、車椅子は光を乗せたまま滑らかに前進した。

「わっ、動く!?」

 想像もしていなかった車椅子の動きに、奏は驚愕した。

「車椅子は足の不自由な人間が座ったまま移動するための乗り物だ。動いてくれなかったら困る」

 車椅子が光を乗せてきちんと動くことを確認した馨は、とても満足そうだった。
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