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忘れられし花
第1章 序
 お方様に目通りし拒絶されて以降、奏がお方様の前に出ることはなく、主に内向きの仕事を与えられて一日を過ごしていた。

 その日、勤めを終え自室に戻った奏は、珍しく慌てた様子の松永から扉越しに声をかけられた。

「当主様のお渡りだ。今すぐ廊下で控えよ」
「お渡り……?」

 聞いたことのない言葉だった。

「当主様が離れへおいでになるということだ。さあ、早く」

 急いで部屋から出ると、松永は腕の中にお方様を抱きかかえていた。
 白い寝巻きの裾から伸びたあまりにも細い足に、奏はお方様が目だけでなく足も不自由なのだと知った。

「松永」

 お方様は松永の名を咎めるような口調で呼んだ。

「申し訳ございません。予想以上に早い当主様のお渡りでしたので」
「仕方ありません。こうなってしまった以上、今さら詮のないことです」

 お方様は見えない目を奏に向け、にこりと微笑んだ。

「大丈夫です。私があなたを守ります。あなたがこの離れにいる限り、私はあなたの主です」
「え……?」

 どういう意味かと問い返す暇もなく、奏は他の使用人に隠れるようにして平伏させられ、お方様も松永に不自由な体を支えられながら平伏した。

 間もなく傲慢そうな足音が辺りに響き、この家の当主がやってきた。だが、名門の当主という割には、所作に品格が感じられない。

「新しい下男が入ったと聞いて足を運んでみれば、これがそうか。ふん、下働きに相応しい賤しい顔をしておるわ」

 当主は奏の前で足を止めると居丈高に言い放ち、手にした杖で奏の顎を乱暴に上向けた。当主は足音の印象と同じ、驕慢な目をした老爺だった。

「だが、たまには下賤の者を愛でるのも一興よ」

 当主は欲望に歪んだ顔でニタリと笑った。
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