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湯上がり慕情 浴衣娘と中年ピンチ君
第1章 それぞれの思惑
 幸恵は先まで決めている口ぶりである。彼にすがることはなかった。
 野上には以前の運送会社で働いていた頃の、このアパートで幸せに暮らしていた日々が浮かんだ。
「ところで幸恵、俺の物と由香の物以外、必要な物は好きにしていい。手持ちの金はあるのか?」
 幸恵は黙って首をふった。
「分かった。今の俺は金が無い。それは親父に借りて二百万は振り込んでやるから、それでアパートでも借りて出直せ。この事は誰にも言うな。金はすぐになくなるぞ」
「私があんたの給料、殆ど使ったのに本当にいいの」
 野上は黙って頷いた。
 幸恵は実の両親らと縁を切ってまで、親子三人で出直す考えはないのだと、このとき野上は悟った。情は移ってはいるものの、離婚の話しをきりだした。
 しばらくして幸恵の両親らが着いた。彼らは緊張している顔つきである。
 彼らを座敷に通した後、畳に頭を擦りつける姿に、いまは神妙な態度を見せてはいても、性格は生涯直らないように思える。謝り続ける態度はあさましく思えた。
 だが野上は、彼らの態度には複雑だった。子どもができたから結婚したのだと、言えなかったからだ。そのことだけは向こうの両親に申し訳ないと野上は思った。

      (四)
 絵の具を塗った花瓶と、飾られたかすみ草を野上は見ていた。
 いつの間にか釣り番組は終わっていた。
 長い歳月は、過去を前向きに解決しているようである。今の楽しい生活がいいと、椅子に腰をおろして足を伸ばし、リラックスしたように浴室のドアを見ている野上からは、そんな風にもうかがえる。

 浴室からは湯の音が聞こえていた。
(あのとき親父は、俺に再婚するなら──とは言ったが)
 再婚する気は野上になかった。由香からはたまにそんな話しを振られるのだが、独身のままが気楽なのだ。
 テレビを観ながら野上が缶ビールを飲んでいるときである。ドアのモザイクのようなガラスに、由香の上半身が映った。少しして、髪を乾かすドライヤーの音が聞こえはじめた。
 野上はそれをじっくりと見ている。音が止んだとき、体にバスタオルを巻いた由香が現れた。片手で胸を押さえて、もうひとつのタオルで髪の毛先を拭いながら、近づいてくる。
 照れがあるのか、由香はちょっと鋭い目線だ。
「お父さん、釣り番組は終わっんでしょ? 早くお風呂に入ったら? でも入浴剤は入れたからね」
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