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その匂い買います
第1章 その匂い買います
 ── 自宅に到着した。
「ただいま」
と、言っても誰もいる筈はなく、その事を知りながらも、中塚は、日課のようにこの言葉を放っていた。自宅と言っても、アパート住まい。六畳二間の間取りで、フローリングと畳の部屋に分かれており、中塚は畳の部屋を好んでいた。
 中塚は部屋の灯りも点けないまま、畳の上に胡坐をかいて座る。
 これが、普段の中塚の行動パターンでもあった。牛丼屋で買って来た、持ち帰り弁当を座っている目の前に置く。
「暑いな」
 中塚は立ち上がり、窓を開けて編戸にすると、夏の心地よい風が、室内に吹き込んでくる。
 中塚は電気もつけず畳の上に胡坐をかいて座り、一点をじっと見つめている。暗い室内に月明かりが差し込んでくる。暗い部屋なのだが、押し入れの模様の輪郭や、牛丼の入っている袋の輪郭までもが、おぼろげながら見えるのだから、人間の慣れと言うものは凄いものだと、中塚は思っていた。
 仕事の疲れからか、中塚は寝息を立てながら着替えもせずに寝てしまう。白いレースのカーテンが、大きく波をうって揺れる。レースのカーテンは、中塚の上半身を覆いつくし、そのまま潮が引くように、静かに元の位置に戻って行く。レースのカーテンは、身動き一つせずにもとの位置でピタリと止まった。
 いつのまにか、夏の風は止んでいた。
「匂いを嗅ぎたい…… 匂い、匂い…… 」
 中塚は何度も寝返りをうちながら、何やら、ぶつくさと、寝言を言っていた……。
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