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いつかの春に君と 〜 番外編 アンソロジー集〜
第2章 愛のバルカローレ
流れるような所作で、卓に茶器と胡瓜のサンドイッチ、スコーン、クロテッドクリーム、ジャム、プチケーキを置くと八雲は瑞葉を見て、極上の優しさを秘めた声で囁いた。
「瑞葉様。お寒くありませんか?少し冷えてまいりました。
こちらをお召しください」
上質のカシミヤのガウンをその華奢な肩にかける。
「ありがとう、八雲…」
エメラルドの瞳に蕩けるような甘い色が帯びる。
八雲の瑠璃色の瞳に、瑞葉を見る時にだけ現れる柔らかな表情が浮かぶ。
…昔から、少しも変わらない…二人だけに通じる密やかな眼差しだ。
誰も入り込めない…二人だけの閉じられた世界がそこにはある。

…以前はそのことが哀しく切なかったが、今は甘い微かな痛みを伴う感情が過ぎるだけだ。

瑞葉にきめ細やかな世話を焼き、そのままサンルームを辞そうとする八雲を和葉は押し留める。
「いいじゃないか。ここにいてよ、八雲。
…ここは久我山の家じゃないから、気楽にして。
八雲に聞きたいこともたくさんあるし」
八雲は、その濃い瑠璃色の瞳を和葉に向け、好意的に微笑んだ。
好意的ではあるが、そこには深い感情は微塵も混ざらない視線である。


…八雲のおめめはどうして青い色をしているの?まるで海みたい…。
そう幼い頃に聞いたことがある。
八雲はにこりともせずに、和葉を見下ろすと慇懃に答えた。
「私の父親が青い眼をしていたようです。詳しくは分かりません。父親には会ったこともありませんから」
そうして、幼い子どもにするには丁寧すぎるほどのお辞儀をすると、美しい足捌きで和葉の目の前から去って行った。
…八雲の父親は北欧の船乗りだったが、結婚もすることなく八雲を身籠った母親を捨てて祖国に帰国してしまったと、人伝てに聞いたのは和葉がもう少し大きくなってからのことだった。

八雲は遠縁の親戚だった執事の伝手で篠宮家に雇われた。
彼が十八の時であった。
瑠璃色の瞳は人目を峙てたが、そのぞくりとするほどの際立った美貌から使用人の女性陣はもとより、使用人には恐ろしく厳しい祖母ですら一目置くようになった。
八雲は美しいばかりか大層賢く理性的で品格があり…何より来客の貴婦人たちや令嬢たちに熱烈に人気があった。

美しい使用人を自分のアクセサリーの一部のように考えている薫子の自尊心を、八雲は大いに満たしたのだった。



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