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エメラルドの鎮魂歌
第8章 エメラルドの鎮魂歌 〜終わりの序曲〜
「…八雲…」
もう四十路も半ばなはずだが、少しも変わらぬ怜悧な孤高の美貌を誇る執事を見上げる。
「お寝かせいたしましょう…」
和葉の腕から大切な宝物を受け取るように抱き取る。
…すらりとした長躯の後ろ姿…。
和葉は見つめる。
世間はくすんだ国民服の男ばかりなのに、この男は上質な黒い執事の制服を未だ隙なく着こなしている。

…この家は、戦争前と少しも変わらない…。
塵一つ落ちていない床、窓や調度品はぴかぴかに磨き上げられ、今すぐにでも豪華な夜会が開けそうな余裕に満ちている。
物資も乏しくなっている筈だが、そのような気配は微塵も感じさせなかった。
瑞葉は相変わらず白いレースの貴婦人用のドレスを身につけていたが、それはきちんとした仕立ての良い清潔なものだ。

八雲は丁重に瑞葉を紗の掛かった寝台に寝かせた。
美しい中世の姫君のような古典的な横貌を見せ、瑞葉は眠っている。
…まるで、眠れる森の美女だ…。
我が兄ながら、そのため息の出そうな美貌に魅入られる。

八雲は瑞葉の蜂蜜色の美しく長い髪を優しく撫でてやっていた。
…その貌には、決して他の者には見せない優しみと温もりに満ちていた。

「…お前は相変わらずだな。
相変わらず兄様がいないと夜も明けないんだろう?」
和葉の言葉にゆっくりと振り返る。
「…はい。私には瑞葉様がすべてですから…」
深い瑠璃色の瞳には真実しかなかった。
…いつもそうだ。
八雲の言葉には、真実しかなかった。

…貴方には何の興味も持てないのです。
かつて言われた無情な言葉が蘇る。

…あれ以上の真実はなかったな。
和葉は思わずくすりと笑う。

八雲が不思議そうに、端正な眉を上げる。
「いかがされましたか?和葉様」
「いや、何でもない。思い出し笑いだ」
…今なら分かる。
僕も、あのひと以外のことはどうでもいい。
優しく不器用で強くて気弱な恋人の面影を胸によぎらせる。

「…客間で一杯もらってもいいか?
兄様の話を聞きたい」
和葉の言葉に、美しい初恋の執事は、恭しく頷いた。


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