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第10章 居待月(いまちづき)

東海林が雅に近づこうとした時、ガーデンパーティー用に軽く着飾った月哉の友人達が雅を取り囲み、その姿は見えなくなった。



(あの眼差し――まるで、記憶を無くす前の雅様に戻られてしまった様だった)

そして今、東海林はピアノに向かう雅の顔に妙な違和感を覚える。

雅なのに雅でない……そんなことは有り得ないと分かっているのだが、じっと見つめていても雅の中に感じる異物感は拭えなかった。

上手いとか素晴らしいとか、そういう賛辞では形容しがたい、粘度の高い音の羅列。

雅の自我や欲や願望を固めたような狂おしい音の飛礫(つぶて)を、東海林は受け続けた。

カデンツァを挟んで幾度も繰り返される主題の変奏、最後はニ長調に変わって雄大に終結する。

七分程の演奏が終わり、息を弾ませた雅が鍵盤上の手を止めてぐったりと項垂れた。

しんと静まり返った暗い部屋に、雅の荒い息遣いだけが響いていた。

東海林は備え付けの冷蔵庫から、ガス入りのミネラルウォーターとグラスを調達すると、雅に歩み寄った。

「喉、渇きませんか……?」

こつり。

黒いピアノの上にクリスタルのグラスを置くと、雅はばっと顔を上げた。

その表情は目を見開いた驚愕のそれだったが、相手が東海林と認識すると、やがてゆるゆると緩んだ。

「……気がつかなかったわ、いつからいたの?」

掠れた声で問いかける雅に、持ってきた水をついでやる。

シュワシュワと炭酸の涼しげな音につられてか、雅は手を伸ばすと一気に飲み干す。

白い首筋に長い黒髪が汗で張りつき、それに妙に色気を感じて、東海林は視線を逸らした。

「……酷い演奏だったでしょう」

クスクスと雅が笑う。

「確かに、後数十分聞いていたら、胃に穴が飽きそうでした」

東海林は胃の辺りを擦って見せると、ペットボトルに残っていた水をそのまま飲み干した。

「ふっ、正直ね……ごめんなさい、人に聞かせるために弾いていたわけでは、無かったら――」

「構いませんよ、勝手に入ってタダで聞いていたのですから」

東海林の返事に雅は微笑を湛えながら視線を落とし、愛おしそうに鍵盤を指でなぞっていく。

その横顔は薄暗い照明のせいか酷く青ざめていて、この年の少女には似つかわしくない、全てを諦観したような表情に見えた。

「………………」

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